リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

分断の声、統合の歌

2019年2月24日には、2つの行事が予定されています。

東京では、天皇陛下御在位30年記念式典

沖縄では、辺野古移設又は新基地建設への賛否を問う県民投票

憲法で確認されている通り、天皇は日本の統合の象徴です。その天皇陛下の式典の日に対し、沖縄県知事が敢えて県民投票の日を合わせたのは、「沖縄は日本の一部としてきちんと扱われていない」という抗議をもっとも痛烈な形でぶつけたい思いがあるのでしょう。もっともそのメッセージが功を奏して普天間と辺野古の両基地が共に無くなる可能性は無きに等しいので、怒りの声は「やっぱり聞き届けられない」と言う落胆となって、かえって分断を深めるでしょう。

戦中、戦後を通じて多大な犠牲を強いられてきた沖縄県を、陛下は11回に渡って訪問されてきました。その中で、かつて沖縄への思いを作詞された歌を、今年の式典でアーティストの三浦大知さんが歌うそうです。彼は奄美大島にルーツをもち、沖縄県で育った方です。決して日本は沖縄を抑圧する他者ではなく、一体のものだという融和のメッセージがありありと感じられます。

本土側からのメッセージは、式典に限らず、今後も繰り返されるでしょう。米軍基地の返還促進や沖縄経済の振興などによって。

しかし、中国が台頭する向こう数十年の間、沖縄は軍事的な要衝であり続け、したがって沖縄の基地負担は軽減されことすれ、無くなることはほとんど考え難いことです。

仮に在沖米軍が完全撤退するとすれば、それは中国があまりにも強くなりすぎ、アメリカが琉球諸島を防衛ラインの外側に置いた場合です。万一そうなれば、かつてアチソン国務長官が防衛線から韓国を外した(ように誤解された)ときに、朝鮮半島で何が起きたか、我々は思い出すことになるでしょう。

かといって、このままでは沖縄の被抑圧感情は、分離主義を育てるでしょう。ある国家の中で、特定の地域に住む人たちが「我々は、違う」と考えた時に何が起きるか。そこへ善意の顔で近づいてくる人々は、善意に満ちた帝国主義者かもしれないと、我々は数年前のクリミアを思い出さねばなりません。

だからって、どうすればいいのか。

あるいは向こう30年の間、分離主義の生育を遅らせることができれば、中国と沖縄の人口動態が共に変化することに、希望をもってもいいでしょう。しかし、さらなる30年のなんと長いことか。

その間、抑圧の終わりを求める声を、融和の歌が押しとどめることができるのでしょうか。

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官邸ドローン事件で出頭した人は、もっと拗らせる前に捕まって本当に良かった

首相官邸屋上でドローンが発見された件で、福井県の男性が出頭しました。この男性のものと思われるブログ「ゲリラブログ参」が話題になっています。そこには犯行に至るまでの思考の変遷、準備などが書かれています。

出頭した男性が本当に犯人かどうか、話題のブログもその人のものであるかはまだ分かりませんが、もしそうだとすると、この方はこの程度の事件しか起こさないうちに捕まえてもらえて本当に良かったと思います。

警察へ出頭した人の動機

警察に出頭し、逮捕された容疑者は、犯行についてこう語っているそうです。

警視庁によりますと、24日夜8時すぎ、福井県小浜市にある小浜警察署に...容疑者が出頭し、「反原発を訴えるために官邸にドローンを飛ばした」などと話したということです。
また、「福島の砂を容器に入れた」と話し...官邸に対する威力業務妨害の疑いで逮捕しました。(NHK 15/4/15

逮捕直後に容疑者の発言だとして警察が発表する内容には虚構が多く、まるであてにならないのですが、話題のブログの内容はこれに一致しています。

3.11後は盛り上がってた・・・それでも大飯は再稼動した

デモは各地で続いてる・・・らしい・・・マスコミも取り上げなくなった

デモで再稼動は止まらない・・・暴動にもならない

再稼動まで時間ないからデモは一旦パス・・・

再稼動に反対する活動ではなく再稼動を止める活動をしなくては・・・

(2014/7/19 ゲリラ戦

いろいろ検討した末、 福島の土をドローンで首相官邸に運ぶことにしたようです。

昨年12月に実行しようとして失敗、改めて統一地方選の直前を狙った、と書いています。 

計画

4/8 官邸にドローン墜落・・・マスコミ報道

4/9 ブログ公開、警察に出頭・・・ここが選挙3日前

4/12 混乱の中で選挙を迎える

15/4/10

妄想のターゲット

最初期の記事(2014年7月)の段階では、まだ具体的プランは決まっていません。実行された計画より、手段や目標について幅広く妄想が行われています。

とりあえず1人で活動・・・ローンウルフだ


「革命的で高度な破壊活動と無差別なテロリズムの間には
明確な区別がなされねばならない」(チェ・ゲバラ)


破壊活動とテロの区別・・・難しいな・・・

今は何でもかんでもテロ扱いだから・・・

殺傷せずに何かを破壊・・・デモ以上テロ未満・・・

いや・・・再稼動を止めるためにはテロをも辞さない

再稼動すれば加害者・・・なら再稼動を止めて加害者のほうがいい

具体的に何をするか・・・何ができるか・・・

サリン風の液体や炭疽菌風の粉末をを郵送・・・

爆弾風の圧力鍋を郵送・・・

生卵に穴を開けて中身を抜いて中に臭豆腐とか入れてテープで蓋して・・・投げる

ダメだ・・・発想がショボイ・・・知能が足りない

大事なのは時間と場所・・・

脳内シュミレーション・・・

原発施設、電力会社、社宅・・・・

 

荒ぶる中年が1人で想像し実行できる事なんてたかが知れてるか・・・

サリンや炭疽菌『風』のものを送りつけるということで、本当に誰かを傷つけるテロをやるつもりはなかったようです。「爆弾風の圧力鍋」というのは、アメリカのテロ事件で使用された圧力鍋爆弾を意味します。

 ターゲットとしては官邸は考えておらず、原発自体や電力会社の社宅があげられています。

発炎筒プラン

実際には福島からとってきた土をドローンに搭載したわけですが、発炎筒をのせるプランもあったようです。

汚染土配達仕様から一旦発炎筒4本仕様に・・・

発火はヒューズからニクロム線に・・・

リレーを使った時限仕様からサーボを使った遠隔仕様に変更

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.....FPVによる射撃、爆破、放火、投下、散布・・・イロイロ可能・・・

散弾(方向性を持たせた爆弾)にすれば命中率はかなり高い・・・と思う


ロケット(弾頭汚染土ミサイル)を搭載をしたくて・・・

発炎筒焚くのとミサイル撃ちこむのでは与える印象が全く違うから・・・

自作ロケット用の火薬エンジンを購入・・・重量的にも4本は積める・・・

でも敷地外までフッ飛んでくリスクがあるのでやめる

 

最悪の組み合わせ

いずれも、色々と思いつめてしまった人の妄想の域を出ていません。

しかし、危険な兆候は見て取れます。さらに思いつめて妄想を拗らせれば、「...風の」が取れて、本当に危険なものを郵送やドローンで送りつけていたかもしれません。

また、予備案の発炎筒を使った場合、本人は少々びっくりさせる効果だけを狙ったものでしょうが、火災を起こした可能性もあります(事例:姫路消防署pdf1資料)。

実際、ドローンで土を下ろすというのも、計画通りにいけば危険性は乏しいけれど、ドローンが墜落して誰かを殺傷する恐れがあります。

そういった模擬(のつもり)攻撃のターゲットが電力会社の人の社宅にも及んでいたら、どうだったでしょう。学生運動が盛んな時には、テロリストが爆弾を警察の幹部の自宅に郵便で送り、警察官の奥さんが死亡した例があります。この方にはそこまでするつもりはなかったでしょうが、福島の土100gでなく、発炎筒の方を選択していたら、意図せずにちょっとした火事の原因くらいにはなっていたかもしれません。それでも十分、人は死にます。

いま捕まってよかった

誰かを傷つける前に捕まって、本人のために幸いであったろうと思います。この程度であればただの困った人ですが、もっと拗らせて手段と目標がエスカレートすれば、本人にそのつもりがなくても、誰かを殺傷してしまっていたかもしれません。

この人は、一応、誰かを怪我させたりしないように気を使っています。善意の人です。しかし目的のために手段を選ばない姿勢は、その人が良かれを思っていればいるほど、やっかいです。バートランド・ラッセルは「高潔な人たちが、自分は正当にも『道徳的な悪』を懲らしめているのだと思いこんで行ってきた戦争、拷問や虐待のことを考えると、私は身震いする」と言っています。

実際に人を殺したテロリストだって、もとをたどれば普通の人であり、ただ少し不幸だっただけなのでしょう。今回の方も、他に人生の楽しみをみつけて、誰にとっても穏やかな生活を手に入れてほしいものです。

女性にも徴兵制を適用するノルウェーの社会

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ノルウェーは2015年から女性の徴兵を開始しました。

ノルウェー議会は2013年から女性への徴兵制の適用を審議しはじめ、翌14年にはこれを認める新法が可決。キリスト教系の政党を除く全政党が賛成したそうです。

女性を兵隊にするとは、ノルウェーは亡国まぎわの末期戦でもしているのでしょうか? いいえ、彼ら彼女らにとって、当然の社会を作ろうとしているだけなのです。

今回はニューズウィークの報道とノルウェー軍のウェブサイトを中心に、なぜノルウェーが女性を徴兵するようになったかを見てみます。

徴兵制とは何か

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徴兵とは市民を軍隊にいれ、一定期間の軍事訓練を受けさせることです。徴税と同様に義務として行うので、選ばれたのに正当な理由(宗教的信念等)無くして断れば、罪に問われることがあります。

徴兵された市民は、数年程度の訓練を受けた後、一般社会に戻り、ふつうに就職したり、進学したりします。軍隊にいる間にもし戦争が起これば、もちろん戦場で戦わねばなりません。一般社会に戻ったあとも、もし戦争になって、招集令状がきたら、軍に戻って戦場にゆかねばなりません。当然、敵を殺したり、敵に殺されたりする恐れがあります。

ノルウェーにおける徴兵はどのように行われるのか?

ニューズウィーク紙は、徴兵のプロセスを紹介しています。

ノルウェーの17歳の少年少女、その数6万3000人に、徴兵の報せが届けられます。彼ら彼女らは、まずオンラインでのテストを受験。その結果に基づき、2万人が軍に招かれて、心身の検査と面接を受けます。「向いている」と認められた1万人が兵士となります。

当たり前ですが、徴兵年齢の全市民が軍隊に引っ張られるわけではありません。あらゆる仕事と同じように、兵士にも向き不向きがあるからです。さまざまな身体的理由で兵士に適さない人は除かれます。身体は壮健でも性格や信条によって「兵隊向きじゃない」「問題外にやる気がない」という人も多いでしょう。

世の中には「最近の若者は怪しからんから、徴兵制にして、軍隊で鍛え直せばいいんだ」と考える人たちがいます。しかし徴兵制の軍隊も、やる気がない上に適性がない人を押し付けられても後で困ります。だから、試験をして、多少なりともやる気と適性がありそうな人を選んで採用します。

女性を徴兵するメリット

女性にも徴兵を拡大することのメリットはこの「向いている人を採用したい」という点です。

入社試験ならぬ徴兵検査を受ける母数が多ければ、その中に含まれる兵隊向きの人の数だって多くなるでしょう。性別を問わず徴兵検査を受けさせれば、母数は約2倍。その分、より適性のある人を選んで採用できる道理です。

問題は古めかしい性差別だけ

障害になるのは「戦いは男の仕事だ」「女は家にいるものだ」「そんなことは女の子のするものじゃありません」といった、無根拠な思い込みだけ。

英国の軍事シンクタンクRUSIの研究者Joanne Mackowskiは「スカンジナビア諸国はジェンダーの平等がとても進んでいるので、ノルウェーが女性徴兵のパイオニアになるのは驚きではない」と述べています。

男性の仕事はこう、女性の仕事はこう、という偏見から自由であれば、ことは簡単です。兵士に向かない男性もいるし、兵士に向いた女性もいる。あらゆる適性や能力、趣味や嗜好と同じように「そんなの人それぞれ」なのです。

 女性が活躍するノルウェー軍

 そもそも、ノルウェー軍にとって女性は珍しい存在ではありません。徴兵こそ2015年からですが、志願兵としてならば以前から多くの女性が軍で働いてきました。

  2014年8月時点で、軍組織の17パーセントが女性。軍には軍人の他に文官もおり、その中では33パーセントが女性。軍人に限っても、10パーセントが女性です。

 女性だからといって、出世できない、なんてことはありません。女性の将軍もいます。NEWS WEEK紙は、女性として初めて、国連平和維持活動(PKO)の司令官に任じられたKristin Lund少将を紹介しています。

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女性の管理職を増やす軍の組織目標 

 公式ウェブサイトによれば、ノルウェー軍は長期目標として、女性の割合を15パーセントに引き上げようとしています。また、特に士官学校の学生について、女性の割合を25パーセントにすることを目標としているそうです。
 士官とは、要するに管理職のことです。士官学校とは将来の管理職となるエリートを養成する学校のこと。徴兵ではなく、志願して試験を受け、合格した人しか入れません。卒業後は若くして隊長だの参謀だのになり、軍の要職に就きます。企業でいえば、一流大卒の幹部候補生です。
 ノルウェー軍は下っ端の兵士として女性を徴兵するだけでなく、女性の管理職を多数育成しており、今後さらに増やそうとしているわけです。管理職の20パーセントが女性であれば、その下で働く一般社員の女性も働きやすくなるでしょう。この世が天国になるわけではないにしろ、女性の管理職が0パーセントの組織に比べれば、圧倒的にマシなはずです。

ノルウェーにおける女性の社会進出

f:id:zyesuta:20150424230812j:plain管理職といえば、2015年現在、ノルウェーの国防相であるIne Eriksen Søreideは女性です。彼女は女性を徴兵する新法について「徴兵制は、市民と国家との間の契約における重要な原則の一つです。そして今や、この契約に我が国の市民の全てが参加しているのです」と述べ、女性徴兵を認めた国防相であることを誇りに思うとしています。

 国防相が女性なのは偶然ではありません。ノルウェーの議員や国営企業の役員には、一定以上の割合で女性をいれることが義務化されています。このような措置をアファーマティブ・アクションといい、批判も多いやり方です。

 近年のノルウェーでは、多少の無理をしてでも女性を社会に進出させる政策から、男女共同参画社会をめざす方向性にシフトしつつあるそうです。女性を家庭から出して社会で活躍させるだけでなく、男性を家事や育児にちゃんと参加するよう促す政策です。

 家のことは全部奥さんに丸投げしている男性のような働き方を当たり前に考える社会では、女性にも専業主婦をつけないとやってられません。結婚や出産を機に結局は退職して主婦になったり、正社員を諦めてパートとして働く女性が大半になります。

 女を社会で活躍させたいなら、男を家庭で活躍させることです。女性に優しい制度をいくら作っても無駄で、男女ともに働きながら家事と育児をしやすい社会にするのが大事です。性別によらず正社員の労働時間そのものを短縮し、出産や育児のために短時間勤務や育休をとるのが性別によらず当たり前の社会をめざすことです。 

軍隊は社会の鏡

 ノルウェー社会のそのような方向性が、ノルウェーの徴兵制にも反映されたのです。議員や閣僚の多くを女性が占める社会なら、軍隊にも女性の将軍があらわれます。女性の管理職が多い社会なら、軍の士官にも女性が増えます。

  軍隊も社会の一部です。一般社会から全く異質ではいられません。例えば旧日本陸軍で見られた精神主義などの諸々の悪癖は、軍事と決別した平和主義を奉じた戦後日本の企業にも多く見られます。どっちにしろ、同じ社会の市民がやることなので、似た部分があって当然なのです。

 男性が当たり前のように家事や育児を分担し、女性が外で働き易い社会であれば、ノルウェー議会が女性を徴兵するのに違和感を持たないのも自然なことです。

 ノルウェー軍のHaakon提督は「(女性も徴兵する)新法が意味するところは、男女の権利と義務の平等です。これにより、軍はノルウェー社会の良き反映となるでしょう」と述べています。 

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参考:

Both Sexes Called To Arms as Norway Conscripts Girls

Women in the Armed Forces

Female conscription in Norway

きっと、その正義は誰にも届かないでしょう

どのような方向でも、誰かの死を自分の政治的な主張に利用する人々は、意見が異なる人達から敬意を得ることは難しいでしょう。そのため、彼らが多数派を形成したり、世の中を動かしたりすることはできないでしょう。

 

なぜといって、凡人が多数の人を継続して動かすために必要なものは、利益誘導と誠実さです。そして人が最も誠実さを示すべき時は、死者とその家族に向き合う時だからです。

「ウクライナ危機の原因は、欧米のリベラルな妄想だ」とミアシャイマーは言う

 フォーリンアフェアーズの14年9月号で、ミアシャイマーがリベラルな国際政治観をぶった切っています。ジョン・ミアシャイマーはリアリリズム学派の国際政治学者。攻撃的リアリズム論の代表的な論者として知られる、当代きっての大学者の一人です。

 

 彼は「欧米世界では、ウクライナ危機はすべてロシアの責任だ」という風潮に対して反駁し、アメリカとヨーロッパ諸国の責任を問うています。たいへん面白い議論ですので、その一部を紹介します。

 

ウクライナ危機を誘発した大きな責任は、ロシアではなくアメリカとヨーロッパの同盟諸国にある。危機の直接的な原因は、欧米が北大西洋条約機構(NATO)の東方への拡大策をとり、ウクライナをロシアの軌道から切り離して欧米世界へ取り込もうとしたことにある。……彼(プーチン)が反転攻勢に出たことには何の不思議もない。「欧米はロシアの裏庭にまで歩を進め、ロシアの中核的戦略利益を脅かしている」と彼は何度も警告していた。(p6−7)

欧米の錯覚

プーチンがやったことは反撃であって、最初にロシアを脅かしたのは欧米の方だ、というのです。しかも欧米は、それを意識的にそれをやったのではなく、無自覚にやってしまった。それというのも、冷戦後の欧米が抱いてきた国際政治観が間違っていたからです。

国際政治に関する間違った概念を受け入れていた欧米のエリートたちは、今回の事態の展開を前に虚をつかれたと感じている。「リアリズム(現実主義)のロジックは21世紀の国際環境では重要ではない」と思い込み、法の支配、経済相互依存、民主主義というリベラルな原則を基盤にヨーロッパは統合と自由を維持していくと錯覚していたからだ。(p7)

 

プーチンがプレイしているゲームのルールを理解せよ 

民主化運動を応援し、経済の交流を増やし、リベラルな価値観を世界に広めていくことは、道徳的に正しいことのように思われます。しかし、そのようなナイーブな善意こそが、戦争を誘発することがあります。善意に基づく行動であっても、外国からみれば間接的な侵略のように見えることもあるからです。

プーチンの行動を理解するのは難しくない。ナポレオンのフランス、ドイツ帝国、ナチスドイツがロシアを攻撃するために横切る必要があった広大な平原、ウクライナは、ロシアにとって戦略的に非常に重要なバッファー国家なのだ。…ロシアの行動を支えている理屈、そして地政学の基礎を理解する必要がある。大国は自国の近隣地域における潜在的な脅威には常に神経質になるものだ。

アメリカにしても遠くの大国が…西半球地域に軍事力を配備するのを許容するはずがない。仮に中国が見事な軍事同盟を組織し、これにカナダとメキシコを加盟させようとすれば、ワシントンはどう反応するだろうか。怒り狂うのは目に見えている。(p11−12)

 あらゆる国は戦争を想定して「このエリアで侵略者を防ぐ」という防衛線を引いています。防衛線は国境線より外側に引かれるのが常です。特に大きな利益を有する大国は、自国の領土、発言力、権益といったものを守るために、周辺国を含む広大なエリアを防衛線として必要とします。よって大国は周辺国を従属させるか、せめて敵ではない状態に維持することで勢力圏を築きます。

 他国の勢力圏に手を突っ込んでかき回すのは、ヤクザが取り仕切っているシマに乗り込んでいって社会運動をやるようなもので、危険極まりない行為です。ですが自分が他人の利益にもなる正しいことをしていると思い込んでいる時、賢明な人が明白な危険に気づかないことがあるものです。

本質的に、米ロは異なるプレーブックを用いて行動している。プーチンと彼の同胞たちがリアリストの分析に即して考え、行動しているのに対して、欧米の指導者たちは、国際政治に関するリベラルなビジョンを前提に考え、行動している。その結果、アメリカとその同盟諸国は無意識のうちに相手を挑発し、ウクライナにおける大きな危機を招き入れてしまった。(p13)

ウクライナを緩衝国家に

ミアシャイマーは結論として、欧米はウクライナをEUやNATOに取り込むのを止め、ウクライナの民主化を応援するのを止めて、欧米とロシアのあいだのバッファー国家の位置におくべきだと論じています。

このように大国が小国の運命を勝手に決めることは小国の自己決定、すなわち国家主権を踏み躙るものですが、国際社会では起こり得ることです。

「ウクライナにはどの国と同盟関係を結ぶかを決める権利があるし、欧米の参加を求めるキエフの意向を押さえ込む権利はロシアにはない」という批判も耳にするかもしれない。だが…残念なことに、大国間政治に支配されている地域では、力と影響力がものを言う。パワフルな国が弱体な国と対立している状況では、自決主義のような抽象的な概念に力はない。(p16)

 もし欧米がどうしてもウクライナを取り込みたいのであれば、ウクライナのためにNATO軍を動員し、ロシアと戦争をする覚悟が必要でした。もし本当にウクライナがNATOの中核的利益であったなら。言い換えると、ウクライナを守らなければNATO諸国の安全が脅かされると考えるのであれば、ぜひともそうすべきでした。

 しかし実際には、NATOはウクライナのために戦争をするつもりはありません。にも関わらず、ウクライナまで勢力を拡大しようとしたのが、誤りでした。銃をもってそこへ行く覚悟が無いのなら、善意やお金をもって行くべきでもなかったのです。その報いを受けるのはNATO諸国自身ではなく、ロシアの矢面に立つウクライナなのですから。

 ミアシャイマーの議論はたいへん示唆に富み、ベトナム戦争を批判したモーゲンソーを想起させるものがあります。ご興味の向きには、ぜひともご一読をお勧めします。

 

 

クリミア議会がロシア連邦への編入を要請

クリミア議会がロシア入りを要請しました。 いずれ予期されていたことでしたが、早すぎた、拙速だったのではないかと思います。 3月6日付のロシア紙によれば、クリミア議会はウクライナからの分離と、ロシアへの編入を決めたと報じられています。

The parliament of Crimea, a majority ethnic Russian region within Ukraine, decided Thursday to secede from the country and become part of Russia, according to a statement on its website.(引用元

BBCによれば、クリミア議会はロシア連邦に対して正式に加入の申し出を行ったと発表したそうです。連邦入りを認める手続きに入ってくれるようロシアに要請したものの、プーチン大統領からはまだ公式な返答はない、とのこと。

The Crimean parliament resolved "to enter into the Russian Federation with the rights of a subject of the Russian Federation". In a statement on its website, parliament said it had asked Russian President Vladimir Putin "to start the procedure" of formally allowing Crimea to join the Russian Federation. The Kremlin said President Putin was aware of developments in the Crimean parliament, but no response has yet been made public.(引用元

クリミアはウクライナの一部ではありますが、歴史的な経緯から「自治共和国」の地位を有しています。また、ロシア連邦には民族自治が認められている多数の共和国があります。クリミア議会の要請が入れられれば、クリミアはある程度の自治権をもつ共和国の地位をそのままに、ウクライナからロシア連邦へ属する先を変えることになるでしょう。 いずれはそうなる、と予想していましたが、今月末の住民投票の結果をもって民主的正当性を整えた上で、独立宣言なり連邦加盟の要請なりするのが常道というもの。もしかすると、これはクリミア議会の先走りであって、ロシア側のシナリオとは相違しているかもしれません。 これまでの記事で書いた通り、ロシアとしては対話ムードを演出して事態を固定化しつつ、月末の住民投票を待てばよい情勢でした。

ウクライナは、状況を打開したければクリミアからロシア軍を排除し、租借地の中へ押し返す必要があります。……ウクライナ軍がクリミアに進軍したとして……ロシアに「ほらみろ、クリミア市民は武力によって自由意志を奪われようとしている!」という大義名分をプレゼントすることになるでしょう。その時こそ、ロシア軍はクリミアに留まらず、東部ウクライナに侵攻するかもしれません。……かといって事態が膠着すれば、戦わずしてロシアの勝利です。 期限はクリミア共和国で住民投票が行われる3月末。そこでは「事実上の(ウクライナからの)独立」が問われます。そのときロシアは無血で、民主的に、クリミアを手中にできるでしょう。時はロシアに味方しています。(「3/4 戦時態勢に入ったウクライナは勝てるのか?」
ロシアとしては、このままクリミア半島だけを切り取るも良し。分裂を避けたいウクライナ新政権が、親欧路線を捨ててロシアの勢力下に戻ればさらに良し、ではないでしょうか。 このままいけば、恐らく戦争は起こらないでしょう。ロシアはその軍事力を、十分なインパクトを生むほどには威嚇的に、かつ欧米に対抗介入を躊躇わせる程度には抑制的に用いるでしょう。(3/2 『「ロシアが軍事介入」のインパクト』
ウクライナ側がクリミアに進軍せず、東部国境の防衛に集中するなら、ロシアはドイツなどが働きかけている対話枠組みに乗っかって、コミュニケーションを増進しつつ、事態の沈静化、いいかえればロシア勝利での固定化をはかるのではないでしょうか。(3/5『「ロシア軍をウクライナに送る必要はまだ無い」とプーチンは述べた』)

よってロシアとしては、クリミアへの派兵については「いや、あれは自警団だ」という建前を唱えつつ、ドイツらの親ロシア姿勢の国を介して対話を開始すべきフェーズです。ここでキエフのウクライナ新政府と対話を重ね、ウクライナ東部侵攻の可能性を匂わせて脅迫しながら、時期をみて東部侵攻案の放棄および経済援助案等の融和策を持ち出すのが自然な行動です。

 

そして引き換えに、クリミアの分離をウクライナ自身に認めさせられれば、ほとんど最上の勝利を手にできます。 しかし、いまの時点でクリミア議会の申し出はロシアの侵略をかえって強調してしまい、ウクライナおよび欧米の態度をいたずらに硬化させる恐れがあります。このクリミアの動きによって、ロシアにとって望ましい結果へはかえって回り道になるかもしれません。

「ロシア軍をウクライナに送る必要はまだ無い」とプーチンは述べた

3/4日のBBCの報道によれば、プーチン大統領は軍をウクライナに入れる必要はまだ無い、と述べたそうです。 もしウクライナ側がクリミアを諦めて本土防衛に専念するなら、流血が回避できるかもしれません。ロシアの完勝という形で。

ざっくりしたこれまでの経緯

読まなくていい人は飛ばして下さい。 ウクライナは隣り合う大国ロシアの勢力圏でした。しかし急速にEUとの親交を深め、EU加盟を目指していました。

 

もしウクライナがEUに入ればロシアの言いなりの国ではなくなり、将来的には対ロシアの軍事同盟であるNATOへすら加盟するかもしれません。 そんな時、ウクライナでは反政府運動の激化によって親ロシア政権が倒れ、親EUの新政権ができました。このままではロシアはウクライナを失う恐れがありました。

 

ウクライナ東部に多いロシア系市民は必ずしも親政権を支持しているとは限らず、特にロシア系が過半を占めるクリミアは新政権に不満です。

 

またクリミアにはロシアの租借地セバストポリ軍港があります。この港があるためにロシアは黒海とその沿岸をコントロールでき、地中海にも艦隊を送って影響力を発揮できます。

 

ウクライナが暴力的な政権交代に揺らいだ機に、ロシア軍は「国籍不明の武装集団」をクリミアに送り込みました。併せてウクライナ付近のロシア領で大規模な軍事演習を実施。圧力をかけます。

 

これで現地の親ロシアムード機運を高め、おそらく偵察も併せて行い、クリミアの実行支配に着手しました。 「国籍不明の武装集団」が一定の効果をあげると、クリミア自治政府から要請を引き出して、「現地の要請に応じて」「ロシア系市民をウクライナ新政府の迫害から保護する」という大義名分で、堂々とロシア軍を投入。瞬く間にクリミア半島を実質的に支配。在クリミアのウクライナ軍は次々に投降しています。

 

かつて欧米を訪問した岩倉使節団のサムライたちに対して、プロイセンの名宰相ビスマルクは言いました。「大国が利益を争う際、自国の得になる場合には国際法を尊重しますが、もし損となれば武力の威圧でもって国際法を無視します」と。まさにその通りの事態です。

 

ウクライナに属するクリミア自治政府は、自治権拡大のための住民投票を3月中に早めました。この投票で防衛に関する権利などの拡大が認められれば、クリミアはウクライナから実質的に分離し、ロシアの影響下に入るものと思われます。

 

ロシアの軍事介入に対してウクライナ新政権は総動員を発令。全力で戦争準備態勢に入りました。クリミアではいつ戦闘が起こるか、ロシア軍は果たして東部ウクライナにも侵攻するのか、という一触即発の状況です。虚報でしたが、「在クリミアのウクライナ軍に”明日までに降伏しないと攻撃する”とロシア軍が通告したという報道もあったほどです。

「それはロシア軍ではない」「でも軍を送る権利はある」とプーチンは述べた

BBCによれば、プーチンは実に白々しい、しかし合理的なコメントを発しています。

彼は、ロシア軍がクリミアのウクライナ軍基地を包囲したことを否定し、それは新ロシア派の自衛団だと述べた。…もし東部ウクライナのロシア系住民が助けを要請すれば、モスクワはそれに応える、だろう、とプーチンは述べた。また「もし東部ウクライナで無政府状態が生じたならば、我々はあらゆる手段を用いる権利を留保している」と述べた。(BBC 3/41「Putin: Russia force only 'last resort' in Ukraine」)

クリミアで暗躍している兵隊がすべて現地民兵だ、などと信じている人は少ないでしょう。どう見てもロシア軍にしか見えない「国籍不明の軍隊」という先例もあることですし。

 

それでもプーチンが「いや、それはロシア軍じゃない」というのは、今さら国際社会を騙そうとしているのではなく「ロシアは今のところ、こういう建前を守る気でいる」というメッセージでしょう。言い換えれば、露骨にクリミアでロシア軍の姿をあらわにする……例えば在クリミアのウクライナ軍にロシアから攻撃をしかける、というような気はない、ということではないでしょうか。

 

ただし「東部ウクライナが無政府状態になったら、あらゆる手段を」と留保して、ウクライナ政府に脅しをかけています。東部ウクライナのロシア系住民がウクライナ政府に弾圧されているか、ロシアに助けを求めているかなんて、ロシア政府がそう認定すればいいだけです。

 

要すれば「大人しく言うことを聞けば、これ以上、手荒いことはしない。だが、ウクライナが抵抗するなら、東部ウクライナにも攻め込む」と理解すればいいでしょう。

ロシアは既に王手をかけ終わった

3/4日の投稿「戦時態勢に入ったウクライナは勝てるのか?」ではこう書きました。

ウクライナは、状況を打開したければクリミアからロシア軍を排除し、租借地の中へ押し返す必要があります。……ウクライナ軍がクリミアに進軍したとして……ロシアに「ほらみろ、クリミア市民は武力によって自由意志を奪われようとしている!」という大義名分をプレゼントすることになるでしょう。その時こそ、ロシア軍はクリミアに留まらず、東部ウクライナに侵攻するかもしれません。……かといって事態が膠着すれば、戦わずしてロシアの勝利です。 期限はクリミア共和国で住民投票が行われる3月末。そこでは「事実上の(ウクライナからの)独立」が問われます。そのときロシアは無血で、民主的に、クリミアを手中にできるでしょう。時はロシアに味方しています。(「戦時態勢に入ったウクライナは勝てるのか?」

このような訳で、既にクリミアをほぼ抑え、住民投票を前倒しさせたロシアにとって、このうえ事態を激化させる必要性は乏しいといえます。むしろ、事態を硬直化させて、住民投票を待つべきです。すでに果実は実っているので、後は口を開けて時を待てばいいのです。

 

ですが住民投票までに戦闘が勃発し、ロシアの侵略ぶりが強調されてしまうと、アメリカが本気の軍隊を送ってくる可能性が無いとはいえません。そうでなくても、危機が収まった後のクリミアが国際社会に全く認められなくなるでしょう。 そこでこれ以上、軍隊を進めず、欧米の「自制を」「話し合いを」という提案に乗って対話なんぞしながら、ウクライナ側の暴発を防ぎ、なんとなく平和的なムードを演出しながら、事態をロシア超有利の現状で固定すべき、という判断ではないでしょうか。

今のところの見通し

先日の「最後通牒」報道がでた時には考えを改める必要があるかと思いましたが、あれは恐らく情報の錯綜からきたと思われる虚報だったようです。よって、今後の見通しとしては、下記の記事のままでいいんじゃないかと考えています。

ロシアとしては、このままクリミア半島だけを切り取るも良し。分裂を避けたいウクライナ新政権が、親欧路線を捨ててロシアの勢力下に戻ればさらに良し、ではないでしょうか。 このままいけば、恐らく戦争は起こらないでしょう。ロシアはその軍事力を、十分なインパクトを生むほどには威嚇的に、かつ欧米に対抗介入を躊躇わせる程度には抑制的に用いるでしょう。(『「ロシアが軍事介入」のインパクト』

ウクライナ側がクリミアに進軍せず、東部国境の防衛に集中するなら、ロシアはドイツなどが働きかけている対話枠組みに乗っかって、コミュニケーションを増進しつつ、事態の沈静化、いいかえればロシア勝利での固定化をはかるのではないでしょうか。

「戦争なんてする前に、話し合いをすればいいのに」で戦争が無くならない理由

よく「戦争なんてする前に、話し合いをすればいいのに」と言われます。それは正しいアイデアです。話し合いが決裂した時に起こるのが戦争、というのは一つの側面です。

でも他方おいては、戦争とは自国に都合のよい話し合いの下準備である、という側面もあります。戦争の目的は相手を殺すことではなく、相手をある程度コントロールすることだからです。

 

ハインラインがベルナルド・デ・ラ・パス教授に語らせているように「いかなる戦争であれ、それを実行し、うまく締めくくるためには、敵とのコミュニケーションが重要だ」ということです。

 

ただ軍隊が動いている事態では、不測の事態は常に起こりえます。第一次世界大戦のときにそうだったように、まぐれ当たりした一発の銃弾が、大戦争を巻き起こすことだってあるからです。

戦時態勢に入ったウクライナは勝てるのか?

ウクライナ危機は過熱しています。BBCによれば「ウクライナ防衛当局筋によれば、ロシア軍は在クリミアのウクライナ軍に、標準時3時までに降伏せよ、さもなければ攻撃すると通牒した」そうです。(BBC)日本時間で本日の12時がタイムリミットです。 ※追記(3/4夜)上記最後通称の報道は虚報だった模様です。ロシア黒海艦隊が上記を否定していますし、期限を過ぎてもロシア軍に動きがありません。

ウクライナの「予備役動員」は本気の戦時態勢を意味する

それに先立ちウクライナは予備役に総動員をかけました。(時事通信3/2「全予備役を招集=ウクライナ」)予備役とは、以前にまとまった期間の軍事訓練を受けたことがあるが、今は軍隊以外の仕事に就いており、「招集がかかれば軍に戻ります」と登録してある人のこと。たいてい元軍人です。 予備役が動員されるのは戦争、それも大規模な戦争を国家が決意した時です。

 

平時の軍隊は少数の現役軍人と多数の予備役で構成されます。有事の際は現役軍人をコアメンバーに、招集した予備役で軍隊を拡張します。現役が骨や神経、予備役が肉です。 予備役招集は大きな政治決断です。第1次世界大戦ではロシアの予備役動員がきっかけになって、大戦争が起きました。(参照:過去記事「戦争はなぜ起こるか4 時刻表と第一次世界大戦」)

予備役を招集すると、いきなり人がいなくなった家庭や企業は大迷惑です。だから動員は最後の手段です。現役軍人だけでは対処できないほど、大兵力を必要とする戦争を国家が覚悟したときに限られます。ウクライナにとって、今がその時です。

ロシアは前大統領を確保し、ウクライナ東部への派兵をも匂わせている

なぜなら、下手をすればウクライナ全土が戦場化し、首都キエフにロシア兵が乗り込みかねないからです。 先の記事でとりあげたように、プーチン大統領はオバマ大統領に対して「暴動が起こっている東部ウクライナとクリミアにおいて、ロシア系住民およびロシア独自の国益を防衛する権利を、モスクワは保有している」と述べました(ロシア紙3/2)クリミアに留まらず、東部ウクライナへの派兵の可能性も留保しています。 ウクライナ政府としては、クリミアのロシア軍を追い払うだけでなく、本土への侵攻に備えねばなりません。もっとも私はウクライナ軍がクリミアに侵攻しない限り、ロシア軍もウクライナ本土には侵攻しないと予想します。かといってクリミアを解放したいウクライナ政府としては、備えないわけにはいきません。

ウクライナ軍は本気のロシア軍には勝てない

ウクライナ軍が総動員をかけ、全力を出し尽くしたとしても、ロシアも本気で来たら、勝てません。BBCはウクライナ軍とロシア軍の戦力を比較しています。 (引用元) BBCは「キエフに4倍する現役軍人と2倍の戦車をモスクワは持っている」と端的に書いています。

 

それどころかウクライナ軍は「即応態勢に欠けており……キエフの新政府に対する部隊の忠誠心にも疑問がある」くらいです。キエフの新政権は民主的に選ばれた前大統領を暴力で追放した革命政権です。まだ総選挙を経て国民に信任されたわけではありません。ロシアはその暇を与えませんでした。よって市民に対しても、軍に対しても、確たる求心力を持ちません。

海軍総司令官が戦わずして離反

その証拠に、ウクライナ海軍の総司令官ベレゾフスキー提督が離反しました。(ロイター3/3「ウクライナ海軍総司令官が投降、親ロシア派に忠誠」)クリミア政府は彼が率いる艦隊をもって「クリミア海軍」にすると言っています。在クリミアの他のウクライナ軍部隊も、ロシアに投降したところが少なくないそうです。ロシア側が情報戦の一環として過大に宣伝している可能性はかなり高いのですが、ロシア以外のメディアによる独自ソースの報道を見ても、元になる事実は決して小さくはないようです。

クリミアは独自の「軍」を保有する

海軍だけではなく、クリミア政府は独自の軍を保有しようと動いています。投降したウクライナ軍部隊のほか、親ロシアの民兵組織などを統合して「クリミア軍」にするつもりのようです。その核の一つになるのは、かつてキエフで反政府勢力、つまり今のウクライナ政府の支持者たちを弾圧した治安部隊「ベルクート」です。これについては黒井文太郎氏のブログに詳しいです。

特殊部隊「ベルクート」(イヌワシ)に関しては、そもそもキエフのデモ鎮圧の時点で注目されていました。…デモ鎮圧を実行し、100人近い人を殺害したのが、このベルクートだったからです。……独立広場での弾圧でウクライナでは悪名を轟かし、権力者の手先となっていたことで、ウクライナ各地で反ロシア系住民の憎悪の対象となっています。そのため、ロシア系の隊員の多くは、ロシア系住民が多数派であるクリミアに逃げたようです。自動小銃、防弾チョッキから、各種機関銃、装甲兵員輸送車まで保有し、統制のとれた歩兵という側面もあります。前述したように、すでに親ロシアのクリミア自治共和国政府は域内の軍・治安部隊の指揮権を主張していますが、実際にその中心となるのはおそらくベルクートだろうと思います。(引用元

このような部隊を核にして、早晩クリミア政府は独自の軍隊をでっちあげるでしょう。寄せ集めの烏合の衆でしょうが、それでいいのです。重要なのはクリミアにロシア軍以外に「クリミア人の軍隊」ができることです。

時間はロシアに味方する

ウクライナは、状況を打開したければクリミアからロシア軍を排除し、租借地の中へ押し返す必要があります。そしてクリミア政府に住民投票の違法性を訴え、中止なり延期なりさせるのです。民主的な手続きを武力で停止させることの功罪は、平和になってから議論することにしておいて。

 

つまりは、クリミアでロシア軍と戦って勝つことです。しかしウクライナ軍がクリミアに進軍したとして、そこで防衛線を張っているのがロシア軍ではなく「クリミア軍」だったらどうでしょう。ロシア侵略軍と自衛のウクライナ軍ではなく、ウクライナ人同士が戦う内戦です。 すると、国際社会の援軍(そんなものが存在するとして)は得づらくなるし、ロシアに「ほらみろ、クリミア市民は武力によって自由意志を奪われようとしている!」という大義名分をプレゼントすることになるでしょう。その時こそ、ロシア軍はクリミアに留まらず、東部ウクライナに侵攻するかもしれません。

 

クリミア軍ができる前に、焦ってクリミアに進軍し、不利な戦いをすべきでしょうか。準備万端整えて、内戦を始め、本土をも危険にさらすのでしょうか。かといって事態が膠着すれば、戦わずしてロシアの勝利です。 期限はクリミア共和国で住民投票が行われる3月末。そこでは「事実上の(ウクライナからの)独立」が問われます。(時事通信)そのときロシアは無血で、民主的に、クリミアを手中にできるでしょう。時はロシアに味方しています。それ以外のほとんど全てと同様に。

「ロシアが軍事介入」のインパクト

ロシアはウクライナへの派兵を決定しました。対してウクライナ新政権は軍に厳戒態勢をとるよう命じ、さらには予備役を招集しました。国連安保理では米欧・露が互いの主張をぶつけあい、NATOは緊急の大使級会合を開きました。ウクライナ危機は、急激に深刻さを増しています。はたして戦争になるのでしょうか? 直近の動きをレビューしてみます。

ロシア上院は軍事介入を承認。ロシア系住民と、独自の国益を守る

プーチン大統領はウクライナ危機での軍事介入を提起し、ロシア上院に承認されました。

ロシア政府によると、プーチン大統領は上院に対し、「ウクライナにおける異常事態でロシア国民の生命が脅かされている」として、軍の派遣を承認するよう求めた。また、クリミアのセバストポリで「国際法に完全に準拠して」駐屯しているロシア黒海艦隊の軍人らを保護しなければならないと述べた。(AFP3/21「ロシア上院、ウクライナへの軍の派遣を承認」

アメリカのオバマ大統領は2月28日の声明で、「いかなる軍事介入にも代償が伴う」とロシアに警告(CNN3/1)。「勝手なことをすると、アメリカが黙っていないぞ」と啖呵をきったわけです。しかしロシア紙の報道によれば、その2日後、プーチンはオバマと電話会談し、直に反撃。「暴動が起こっている東部ウクライナとクリミアにおいて、ロシア系住民およびロシア独自の国益を防衛する権利を、モスクワは保有している」と(ロシア紙3/2)。 当面の焦点はクリミアですが、ロシア系住民が多い東部ウクライナについても、軍事介入の権利をほのめかす強気の姿勢です。軍隊の派兵をためらわないロシアの姿勢は、ウクライナを動揺させています。反ロシアと、親ロシアに。

クリミア政府はロシア軍と協力。住民投票へ

 クリミアでは親ロシアの集会が開かれ、市民が大きなロシア国旗を掲げています。 また、クリミア自治政府の首相は、ロシア軍の派兵を歓迎しています。クリミア政府は黒海艦隊と共同して、地域の重要拠点を警備している、と声明しました。そしてロシアに更なる協力を要請しています。(ロシア紙 3/1 「Crimean Leader Appeals to Putin, Confirms Russian Troop Presence」) こうしてクリミアの市民自身による要請を受け、ロシア軍は堂々とクリミアに増派できます。クリミアで多数を占めるロシア系市民は「ロシアが守ってくれる」と考え、ますます親ロシア姿勢になるでしょう。 このような環境の中、クリミア政府は自治権拡大を求める住民投票を3月中に前倒しにすることを決めました。このまま推移すれば、ロシア軍の武力に守られたクリミアの人々は、自らの意志でウクライナからの分離を決めるでしょう。ロシアにすれば民主的な手続きのもと、クリミアをウクライナから切り取れるかっこうです。

「ウクライナを助けて」と反ロシア市民

一方、ロシアの軍事介入決定をうけ、ウクライナ新政府はNATOに助けを求めています。首都キエフで行われた反ロシア派の市民集会では、市民がメディアを通じて国際社会に「ウクライナを助けて」とアピールしました。(ロシア紙3/2「Ukraine Appeals to NATO for Assistance」)

 

 ウクライナ危機はそもそもウクライナがEUに加わる姿勢を見せたところからが、起点の一つになっています。ですが、いざウクライナが軍事的脅威に晒されたとき、軍事的に救援する力はEUにはありません。 ヨーロッパには2種類の軍事的枠組みがあります。一つはEUがもつ軍事力、もう一つはNATOです。 EUは経済的な連合から始まりましたが、周辺地域への軍事介入のために欧州戦闘群を創設しています。しかし主に人道支援や治安任務を想定したもので、ロシア軍を向こうにまわして戦えるような規模はありません。 これに対してNATOは、もともと対ソ連の第三次世界大戦を想定して作られた軍事同盟です。ロシア軍に対抗するならNATOの枠組みを使わないと厳しいところです。NATO軍の司令官が常にアメリカ人であることから分かるように、NATOの中心はアメリカです。よってウクライナはヨーロッパに助けを求めるというより、実質、アメリカにすがる他ありません。 なので市民集会のアピールもこうなります。

 

「USA,protect us! Please!(お願いアメリカ、私たちを守って!)」

 

 軍事と外交は自動車の左右のタイヤのようなもの。独自の軍事力で擁護できる範囲を越えた外交をやろうとすると、帳尻があわなくなります。その差分は他国の軍事力頼みです。

 

しかし、アメリカはついこの前、10万の市民が虐殺されても、シリアとすら戦おうとしなかったのです。まして自らロシア国旗を掲げるクリミアのために、ロシアと戦ってくれるとは誰も思わないでしょう。

 

日本や韓国のように駐留米軍という人質をとっているわけでもないのに。 ロシア軍の迅速な派兵、危機にタイミングを合わせた大規模演習の実施でみせた高い即応性は、5年あまりロシアが進めてきた軍改革の成果がでたといえるでしょう。

 

いざという時に備えて軍事力に投資してきた国と、そうでない国との差です。 ロシアは実にすばやく、係争地に軍隊を次々送り込みました。ゲームが始まるや、ただちに掛け金を積み上げたかっこうです。対抗するプレーヤーは対処が間に合わず、圧倒されます。強力なプレゼンスを発揮し、事態を主導しています。

分裂の危機はクリミアに留まらない?

ロシア軍の派兵は当面のところ、おそらくクリミア半島内にとどまるでしょう。ですがその影響力は、より広域に及びます。ロシア語を話し、親ロシア姿勢の市民はウクライナ東部に多くいるからです。ロシア紙は報じています。

東部ウクライナの複数の地方自治体の庁舎において、ロシアの国旗が掲げられたという。(Russian flags were reportedly raised Saturday over local government buildings in cities across eastern Ukraine, including Kharkhiv, Donetsk, Odessa, Mariupol and Dnieperpetrovsk.)(ロシア紙3/1「Clash Breaks Out at Pro-Russian Rally in East Ukraine」

このようにクリミアのみならずウクライナ東部でも親ロシアの動きが高まると、ウクライナは本格的な分裂の危機にさらされます。

 

ロシアとしては、このままクリミア半島だけを切り取るも良し。分裂を避けたいウクライナ新政権が、親欧路線を捨ててロシアの勢力下に戻ればさらに良し、ではないでしょうか。

 

ロシアはその軍事力を、十分なインパクトを生むほどには威嚇的に、かつ欧米に対抗介入を躊躇わせる程度には抑制的に用いるでしょう。最終的には「住民自らの意志で」という点が落とし所ではないでしょうか。 いまのところ、ロシアの介入劇は、水際立った冴えを見せています。

ウクライナ危機がイマイチ分からん人にオススメのBBC製「まとめサイト」

ロシアが軍事介入を決定したことで、ウクライナ危機は急速に進展しています。が、なにぶん遠方のことですがから、土地勘もないし、イメージしづらいところです。

 

いま問題の焦点は、黒海艦隊の母港があるクリミアの帰趨にありますが、「黒海? どこだそれは」「クリミア戦争…世界史でやった気もする」という感じな人が多いのではないでしょうか。

 

こういう国際問題が起きたとき、便利なのはBBCのサイトです。BBCは国際的にもCNNかBBCかという具合で、信頼性と配信力の高いメディアです。(英国国内的には「BBCは政治的に偏向してるから駄目だ」という声もけっこうありますが)

 

BBCの素晴らしいところは、国際問題が起こると速攻で「まとめ記事」をアップしてくれるところです。

 

ぜんたい、国際問題というのは「いま、大変なことが起きてます!」というニュース1本読んでも分かりません。「昔こんなことありました」「そもそもこういう込み入った事情があって」「で、最近こんなことあったんで」という背景と文脈を知らないと「どうしてこうなった」が分かりません。

 

そこでBBCは、ニュースをみて初めて興味をもった人でも分かるように、諸事情をまとめてくれています。

 

クリミア問題についてはこちら。地理的な事情、ウクライナ国内のロシア語・ウクライナ語圏の話、黒海艦隊とは、また19世紀のクリミア戦争まで端的にふれながら、この分量の少なさ。素晴らしいです。

 

What is so dangerous about Crimea?(BBC News EUROPE)

 

また、ウクライナ危機全体が、どうしてこうなったかがよく分かるタイムラインはこちら。

Ukraine crisis timeline

こういう「まとめ」記事を速攻で作ってくれるのがBBCの偉いところです。

 

NHKもいつかはこういう仕事をしてくれるようになって欲しいものです。国際問題ではたいていそうなのですが、日頃ウォッチしていない地域で火種があがった時は、日本の新聞・テレビの報道を10本みるより、BBCのまとめ記事を探してそれ1本を読んだ方が分かり易いし、そのくせ背景と流れまで押さえられます。

 

こういうメディアが国際的に信頼されるのは自然なことです。反面、「まとめサイト」に掲載されれば嘘も本当のように流布してしまうように、BBCなどの欧米大メディアに否定的な論調で「まとめ」られると、大損をします。

 

日本が何か行動をとる場合、それが外交であれ内政であれ、こういう大メディアから見て理解できるストーリーを組み上げて、好意的に、せめて中立的に取り上げさせることを意図しないといけないでしょう。

 

○参考:BBC News (Kindle Tablet Edition)

BBC News (Kindle Tablet Edition)
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BBC Worldwide Limited (2012-07-17)

自衛隊の対中国シフトと、その事情

 新しい「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」が発表されました。これら2つは防衛省と自衛隊が「こんな感じでいきまっせ!」という防衛政策の設計図です。

 大筋では、防衛費の総額を抑えつつ、中国対策へのシフトを鮮明にしています。

 そのために具体的には南西諸島への部隊配備と、周辺海空域への警戒・監視体制の強化を打ち出しています。

 この背景には中国の際限ない軍拡とその戦略があり、それに対抗するアメリカ軍の新構想が透けて見えます。

中国の軍事力の増大

中国の軍事力―2020年の将来予測

 新しい防衛大綱では中国についてこう論じています。

大国として成長を続ける中国は、世界と地域のために重要な役割を果たしつつある。他方で、中国は国防費を継続的に増加し、核・ミサイル戦力や海・空軍を中心とした軍事力の広範かつ急速な近代化を進め……地域・国際社会の懸念事項となっている。

防衛省・自衛隊:平成23年度以降に係る防衛計画の大綱について

 今年2010年は中国がらみでいくつかの事件がありました。中国艦隊の沖縄周辺の通過と沖の鳥島周回、そして尖閣諸島沖の衝突事件、その後のレアアース禁輸。また劉暁波氏のノーベル平和賞へのリアクション。中国が野心的な対外姿勢をとり、時として極めて強硬でありうることが印象づけられました。

 その背景には軍事力の増強に裏打ちされた中国のパワー増大と、日本のパワーが相対的な縮小があげられます。ゆうま先生は先の尖閣諸島沖事件の際、こう論じてらっしゃいます。

(中国が)尖閣諸島問題をそのように「核心的利益」に属するものとして「格上げ」できた背景には、影響力の増大、パワーの対日相対量の拡大があるでしょう。そうした意味で、日中パワーバランスのシフトが顕在化したという深層原因は無視できないものと思うのであります。

http://out-o.jugem.jp/?eid=369#sequel

 このような背景を踏まえ、新防衛大綱は中国へのシフトを明確化しました。

日本の防衛戦略は中国へ焦点化

「中国の戦争」に日本は絶対巻き込まれる

 ウォールストリートジャーナルでは新たな防衛大綱についてこう論じられています。

久しく待望されていた新たな「防衛計画の大綱」(新防衛大綱)が先週発表され、日本もようやくポスト冷戦時代に入った。日本政府は、日本の国益に脅威をもたらす可能性の最も高い国が中国であることを認識し、それに沿って戦略の焦点をシフトさせた。

/ WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com


 中国は猛烈な勢いで軍拡をつづけ、留まるところを知りません。中国の軍事動向に詳しい専門誌「漢和防務評論」によれば、中国軍の見積もりでは2030年の防衛費は現在のさらに3倍の約3千億ドル(約26兆円)に登ると見積もられています。(7/30 共同)*1軍事力を背景にして南シナ海、東シナ海で海洋権益の拡張をすすめる中国は周辺国の脅威となっています。そこで日本に限らず、アジア・太平洋諸国の多くはそれぞれに中国への対策を練らざるを得なくなっています。

中国の脅威が増大するにつれ、日本は他のアジア諸国と同様、防衛戦略を見直し、米国に接近しようとしている。アジア諸国は、中国との貿易は増やし、表立った対立は避けながら国境警備や軍備を強化、中国が威力を背景に領土問題で圧力を掛けてくる場合に備えている。

/ WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com


 こういった状況の中で、日本も中国の軍事力と向かい合いつつ、それを抑止し、自国の権益を擁護し、紛争を未然に防いでアジア・太平洋地域を安定させる方向性が明らかにされました。妥当なことです。具体的にはどんな変化がこれから起こるのか、見てみましょう。

陸海空すべてが南西諸島防衛へシフト

 新大綱では兎にも角にも沖縄県の島嶼防衛を優先しています。陸海空の3自衛隊すべてが、それぞれの形で沖縄県周辺の防衛態勢強化にシフトしています。

萌えよ!陸自学校
 陸上自衛隊は沖縄県に配備する部隊を増やす予定です。沿岸監視部隊を島嶼に配備する、と明記されていおり、恐らくは与那国島に配備されるでしょう。与那国島は以前から自衛隊の誘致にむけて動いており、前回の市長町長選挙でも自衛隊誘致に賛成の市長が当選しました。新大綱の発表移行、島内では賛成派と反対派それぞれの運動が活発化しているそうです。*2

地元の自営業者らが自衛隊誘致を目指して設立した「与那国防衛協会」理事の畜産業金城信利さん(36)は、「自衛隊が来れば、日本の一部として国に守られていると実感できる。島は今、孤立無援だ」と力説する。  

……今年は尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件や、北朝鮮による韓国・延坪島(ヨンピョンド)砲撃もあり、「国境の島」の危うさを実感したという。「自衛隊がいれば何かあっても守ってもらえるし、災害時も安心。人口も増え、島に活気も戻る」と期待を膨らませる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101228-OYT1T00625.htm

 町長と町議会の大勢も前々から誘致に前向きなので、与那国への監視部隊配備は規定路線でしょう。ただ監視だけでは仕方がないので、有事の際に即応して交戦できる部隊が新編されます。沖縄本島の陸自を現行の2千人から倍の4千人に増やすという報道もあり、沖縄本島に初動から柔軟に使える部隊をプールしておくということかもしれません。

 
海上自衛隊 ヘリコプター搭載護衛艦 DD-181 ひゅうが フルハル/喫水線モデル選択式 (1/700 スカイウエーブシリーズ J37)
 初動に続いて本土から増援を迅速に送り込めむためには、機動展開訓練を実施、新たなヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の整備が書かれています。新DDHは戦闘能力をかなり省略し、かわりに輸送と指揮の能力を高めた多目的艦です。陸上部隊の搭載とヘリによる輸送、また離島奪還作戦の司令部としての機能が期待ます。また海上自衛隊は他にも哨戒機をつかった警戒監視体制を強化のほか、潜水艦の増勢、対潜水艦戦の重視、機雷を除去する掃海部隊の保持が明記されています。


1/72 E-2C ホークアイ2000 U.S.ネイビー
 航空自衛隊も警戒態勢を強化するため、早期警戒機(E−2C)の整備基盤を南西諸島に整えるそうです。早期警戒機とは、シイタケを背中に生やしたような飛行機です。大型のレーダーを積んで、空域の警戒・監視を行います。

 警戒のみならず、那覇基地に配備している戦闘機の数も増やします。といっても定数は増えていないので、本州のほかの基地から1個飛行隊を移動させます。また沖縄本島より中国・台湾に近い下地島への空自配備も、防衛省としては実現に前向きなようです。下地島への空自配備が実現されれば、中国の空軍基地よりも尖閣・先島諸島との距離が近いことから、大きな意味があります。


 これらの他、3自衛隊の「統合運用」をさらに進めることが明記されています。離島有事においては陸海空が一時に協力することが重要になり、従って統合運用が重要です。

 つまりは3自衛隊それぞれの配備転換にせよ、統合運用の推進にせよ、結局は主として沖縄県の離島防衛を重視するということです。

新防衛大綱の背後にあるのは中国の「A2AD」戦略

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 全体を通して強調されているのは、警戒・監視能力の強化と情報能力の向上です。他には対潜水艦能力と、機雷を除去する掃海部隊の保持、そしてほとんど唯一定数が大きく増している潜水艦隊が注目されます。これらの背景には、日本自身の防衛計画と、アメリカの対中国軍事戦略との関連のなかで決定されたことでしょう。アメリカ軍の早期来援をサポートすることを目指していると推測できます。

 大綱の素案を作成したグループ「安防懇」は、アメリカのQDR(「4年ごとの国防計画見直し」)を重視し、これとの連携に注意を払ったと報道されています。(毎日新聞2010/12/4 朝刊「アジアサバイバル:転換期の安保2010 「防衛の現実」同盟依存」)

「委員の間から『QDRと全く同じ表現ではまずい。似た表現にしよう』『QDRの書きぶりはどうなっている?』などという声が出たこともあった。QDRを意識して報告書をまとめたことは否定しない」  


安防懇委員の一人は報告書作成に当たり、米QDRを随所に反映させたことを認める。

http://mainichi.jp/select/world/news/20101204ddm003030185000c.html

 では安防懇が重視したQDR、直近のアメリカの防衛戦略は何を重視しているのでしょう。端的に言うと中国の「接近阻止・領域拒否(Anti-Access Aria-Denial /A2AD」戦略への対抗です。中国は台湾有事などの際に、アメリカ海軍の来援を阻止し、その活動を妨害する軍事戦略を立てていると考えられています。その間に台湾を攻略する等、中国側の政治目的を達成し終えて、アメリカに介入を断念させることを目指すといわれています。

 これへの対抗を念頭において構想されているのがアメリカの統合エア・シー・バトル(JASB)構想です。冷戦期にソ連に対抗すべく開発された「エア・ランド・バトル」がそうであったように、ポスト冷戦期の今日にあって主として中国に対抗すべく構想中の「エア・シー・バトル」は、今後数十年にわたってアメリカ軍の方向性を指導するアイデアになるでしょう。その焦点は、Anti-Access環境下においていかに中国の妨害に耐えて接近し活動するか、および接近できずともいかに有効な攻撃を与えるかにあります。

 日本の防衛大綱はQDRを念頭においており、そしてQDRは中国のA2AD戦略を見据えています。よって防衛大綱は、A2ADにいかに対抗するかという文脈で読むと、明快になります。

自衛隊のAnti-Anti-Accessと「南西の壁」

 日本の観点からすれば、アメリカ軍の早期来援を助けることが、戦争の早期終結につながり、ひいては自国への被害を軽減することになります。

 中国がアメリカ軍を妨げるために使う台湾〜第二列島線までの空間には沖縄県が存在するので、日本は戦いに巻き込まれざるをえません。従って戦争を未然に防ぎ、もし防げなければ早期終結をはかることが望ましいです。また中国側が勝利して台湾・バシーの両海峡をコントロールするのは、日本にとって望ましくない未来です。よってアメリカ軍が一刻も早く来援して中国の意図を挫くのが、日本にとって望ましい早期終戦につながります。

 従って自衛隊の役割は、アメリカ軍の来援と活動をサポートになります。アメリカを妨害する中国のAnti-Accessをさらに妨害する、いってみればAnti-Anti-Access能力が求められます。具体的には警戒・監視を強化し、中国艦隊を沖縄以西の東シナ海に閉じ込め、また中国の潜水艦を探知・掃討するのが、日本の立地と得意とを活かす形です。

 警戒監視と対潜戦の重視はアメリカ側からの要望にも叶います。(朝日新聞 2010/12/22「中朝の監視『日本の役割』 米、対潜能力強化求める」)

中国や北朝鮮の軍事活動をにらみ、米国が日本に対して「情報・監視・偵察(ISR)」の強化を求めていたことが明らかになった。……米側は特に、中国海軍の潜水艦を想定した「対潜(アンチサブマリン)能力の強化」を求め、海自のP3C哨戒機について「もっと利用すべきだ」と指摘。

http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY201012220407.html

 また、敵の先制攻撃を受けて奪われた離島を早期に奪回することも重要です。日本の領土を守ることになるのは言うまでも無いし、その離島に拠って周辺の領域拒否を支援する中国軍の動きがあれば、その阻止につながるからです。自衛隊の指揮所演習ではこういった考えに基づき「南西の壁」という戦略概念をとりいれるそうです。

防衛省は、来年一月下旬に行われる日米共同方面隊指揮所演習(ヤマサクラ)に……陸自で検討されている対中国戦略「南西の壁」を援用する。「南西の壁」は情勢緊迫時に海上自衛隊や米海軍艦艇の航行ルートを確保するため、中国海軍を東シナ海に封じ込める対処行動を意味し、地対艦ミサイル部隊などを離島に機動展開する。

(東京新聞 2010/10/16「南西諸島防衛 日米 初の訓練」)

 中国海軍を東シナ海に閉じ込めるにあたっては、宮古海峡を中心とする一帯が焦点になるでしょう。

米中両国の軍事戦略をふまえ、思い切った対中国シフトに一歩を踏み出した

 新防衛大綱が思い切って南西方面に焦点をしぼっているのは、文脈に沿ったものと考えられます。他方で今大綱は南西諸島以外での有事については殆ど後先考えずにバッサリ切り捨てられていて、後々問題になりそうです。

 とにもかくにも対中国シフトに的を絞った大綱だというべきでしょう。中国にA2AD戦略あり、アメリカはエア・シー・バトル構想を開発中という環境の中で、米軍のスムーズな来援と活動を支援するのが日本の役割である――という認識のもと、思い切った対中国シフトを打ち出したとみるべきではないでしょうか。

 もっとも、対中国シフトの方向性に思い切って舵を切ったとはいえ、その方向へ進む程度は、ささやかなものに留まります。ウォールストリートジャーナルもこう記しています。

とはいえ、新防衛大綱は防衛予算のさらなる削減を命じているため、この新しい積極的戦略を実施する能力が果たして自衛隊にあるかどうかが疑問になる。……日本の新しい防衛体制は、ささやかな防衛力増強にとどまる。

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*1:「中国国防費、20年後3倍に 「アジアを圧倒」と軍事誌」共同通信 2010/7/30>

*2:2010/12/28読売「悲願の陸自配備・断固反対、揺れる与那国」

北朝鮮による砲撃、または「若将軍」のバクチ

 北朝鮮による砲撃事件についてです。

 この事件については「離島の民間人への砲撃」という行動から、2つの意味が汲み取れます。「去年のお返しだ」ということと「わが国を邪魔するとソウルも、こうしてやる」ということです。そういったメッセージを北朝鮮が発信するのは、金正恩の権力継承期という背景のもと、来年2011〜12年が重要な年になるので、早々に軍事的成果をあげる必要があるためではないかと考えられます。

「離島の民間人への砲撃」は何を意味するか?

 今回の砲撃は民間人が居住する島をめがけて行われました。民間人そのものを標的とした攻撃は国際人道法で禁じられています。たとえ軍事施設を目標とする攻撃であっても、明らかに多数の民間人を巻き添えにすると明白な場合も同様です。しかし自国民の人権も平然と踏みにじる社会主義国が、まして北朝鮮は、もとより他国民の人権だの国際法だのはあまり気にしないのでした。

 ここからは少なくとも2つの意味を汲み取れます。1つには「前回のお返しだ」ということ。もう1つは「次はソウルかもしれないぞ」という脅迫です。

去年の11月、北朝鮮は韓国にボロ負けした

 「前回のお返しだ」とは、今から1年前の09年11月10日にあった「大青海戦」の正式な報復のことです。大青海戦では北朝鮮と韓国の警備艇が交戦しました。その結果はハイテク化が進んでいる韓国側の圧勝。北朝鮮は大きな屈辱を受けました。この敗北が重大に受け止められたようです。このせいで、金正日キム・ジョンイル)の側近であり軍の作戦を担当している金明国(キム・ミョングク)が、一階級を降格されたらしいほどです(1/22 AFP)。

 もともと朝鮮半島の西岸沿海は、南北で小競り合いがおき易い海です。なぜならカニの好漁場であり、しかも南北境界線が未確定だから。北朝鮮が主張する境界線は、韓国をふくむ国連軍の定めた線よりも南寄りにあります。南北両朝鮮が主張する海上の境界線が一致せず、双方ともに「ここはウチだ」と主張する海域があるわけです。

 2つの境界線の間で起こったのが、去年11月の青海海戦における北朝鮮のボロ負けであり、10年3月の天安撃沈事件であり、そしていま今年11月の延坪(ヨンビョン)島への砲撃事件です。天安撃沈のときは犯行を否認した北朝鮮ですが、今回は堂々と砲撃してきました。事件の場所と時期からして、1年前のボロ負けの恥を雪ぐ報復の意味が汲み取れます。

「市街地への砲撃」がアリなら、エスカレートすればソウル

 もうひとつの意味「次はソウルかもしれないぞ」とは、今回の攻撃手段である「民間の暮らす地域への砲撃」という手段から見て取れます。今回は砲撃目標は離島でした。しかし、北朝鮮の砲兵が最大の力をもって狙っている目標は離島などではなく、韓国の首都ソウルの北辺です。

 ソウル特別市は南北境界線から約50キロの位置にあります。北朝鮮は境界線付近に、射程50キロ程度の大砲を1000門ほども備えているといわれます。北朝鮮が昔から使う脅し文句の「ソウルを火の海にしてやる」とは、これです。もっとも中心部には届かないので火の海とはいかないでしょうが、大打撃には違いありません。

 今回の砲撃決行で「民間人の居住地を砲撃することもためらわない」と示したことで、もし事態がとめどなくエスカレートすればソウル市北辺も狙われかねない、という心配を韓国政府はせざるをえないでしょう。だからこの砲撃は「わが北朝鮮を怒らせるな。変な邪魔をしたら、お前の首都も、ほれ、このようにしてやれるのだぞ」と見せ付ける誇示とも脅迫とも解釈可能です。

 韓国軍が最近行っている大規模な訓練への制裁とも解釈できる砲撃ですが、あわせてウラン濃縮が伝えられていることから、より大きな成果を求めての最初の脅しとみた方がよいと思います。直近の訓練はきっかけと口実に過ぎないでしょう。

 ではそのような報復を、あるいは脅迫を、なぜ北朝鮮は敢えて行う必要があったのでしょう。

独裁国が暴発する条件

 北朝鮮に限らず、独裁国家が軍事行動にでるときは、十中八九、外交ではなく内政の問題です。国内で何らかの抗争があり、それに勝利するため、あるいは棚上げするために、外国を攻撃する、というパターンに相場が決まっています。

 外国を攻撃して臨戦状態を演出することでナショナリズムを高揚させ、また「敵はあいつらだ」として国内を統一します。さらには外国を攻撃して成果をあげ、現体制の「手柄」にします。いまの政府は、党は、独裁者は、こんなにも偉大なのだと国内へ見せ付けるわけです。こういうとき、外国からみた合理的期待はあまり通じません。

 余談ながら中国が台湾を攻撃すると警戒されているのも多分にこれです。人民が共産党への不満を危険なほど高めたり、あるいは政治抗争によって現指導層が追い込まれたとき、台湾侵攻に逃げ道を見出す、という可能性です。そういうケースでは「戦争をしても損をするのは中国だから、合理的に考えてそんな暴挙には出ないだろう」という期待は通用しない恐れがあります。国際協調ではなく、国内抗争の論理で動くからです。

 今回、北朝鮮がした砲撃についても、外交の論理でみて「ウラン濃縮についてアメリカとの協議を優位に運ぶためだ」と解釈することも可能でき、副次的にはそういう要素もあるでしょうが、どちらかといえば国内抗争の筋でみた方がよいのではないでしょうか。

 この場合、国内抗争とは金正恩キム・ジョンウン)による権力継承をさします。これを背景とし、そのために彼は軍部を抑えねばならないという事情が加わり、そのキーマンとなる人物が砲撃戦を専門にしているという事情、そして金正恩にとって来年2011年は勝負の年になることを併せて考えるべきではないかと思います。

「若将軍」は軍部を掌握せねばならない

 金正恩金正日の息子で、さきごろ後継者に指定されました。金体制は「金王朝」とも揶揄される世襲独裁です。老い先短い殿様が、自分の若い息子を世継ぎの「若殿」に指名したかっこうです。金正日は「将軍様」とも呼ばれるから、さしずめ「若将軍」といったところでしょうか。

 しかし父親の指名だけで正恩が次の独裁者になれるわけではありません。軍を掌握する必要があります。なぜなら北朝鮮に限らず、社会主義の独裁体制においては、軍部を掌握することが独裁者の条件だからです。金正日は「私の力は、軍力から生まれる」と言っています。

 おりしも今月、軍事のナンバー2だった趙次帥が死亡しました(なおナンバー1は金正日)。軍事の最高意思決定機関である「国防委員会」の次席が空席となりました。ナンバー2のその位置を正恩が占め、やがてナンバー1の委員長に進めるか否かが問題です。

 趙が死亡したとはいえ、国防委員会は高齢の要人たちがまだ多数居座っています。委員の平均年齢は金正恩より50歳も上です。(参照)委員のほとんどは70代、80代ですが、今なお元気にさまざまな事業の責任者として活動していると報道は伝えます。

 北朝鮮の後継者に指名された金正恩は、こういう化け物のような老功臣たちの巣窟を仕切って、国防委員会を指導し、軍事の実権を手にいれなければなりません。しかし問題があります。金正恩は今の独裁者の子というだけで、何の実績もありません。いわば血筋だけで選ばれた「若将軍」。70、80の「家老」たちが居並んでいる国防委員会へ、ハタチそこそこの「若将軍」正恩が出て行って、にわかに指導力を発揮できるはずがありません。

 もし軍部に見放されれば、若将軍はお家を継げないでしょう。いまは大殿、現独裁者の金正日が生存している(はず)だからいいでしょう。しかし数年を経ずして金正日が死ねば、残された若殿は針のムシロです。

後見する「じい」が重要

 そこで重要になるのが若将軍の守役。実力があり、しかも若に忠誠を尽くす「じい」の存在です。経験不足な若さまでも「じい、じい」と守役に相談すれば方策を決定でき、また家中に重きを成すじいが若を立ててくれることによって、若将軍も家中を率いることができるでしょう。

 じいと協力して若将軍が何か政策をうち、有無を言わさぬ成果を挙げてみせれば、それがやっと若の実績となります。じいが年を取って引退するまでにそういう実績を重ねれば、若も成長し、周囲も彼に信服するようになって、お家は安泰となるでしょう。

「じい」は砲撃が得意

 「じい」役に選ばれたと見られるのが、人民軍参謀長の李英鎬(リヨンホ)。今年に入ってから突如、抜擢された軍人です。

 平壌のクムスサン記念宮殿広場で撮影された記念写真においては、李英鎬(リヨンホ)は金日正と正恩の間の席に座りました。ソ連以来、社会主義の国では集合写真のときに要人たちが座る席次が極めて重要。李英鎬(リヨンホ)がいかに重用されつつあるかが分かります。また朝鮮日報によれば、リヨンホの専門は砲戦にあるそうです。(「後継者問題:人民軍最高実力者に李英鎬氏」朝鮮日報2010/09/29)

 政府の消息筋は、「最近、元北朝鮮軍幹部の脱北者李英鎬氏について、『各種の砲に通じ、砲射撃に優れた指揮官』と評価した。


今年1月に起きた北朝鮮の海岸砲による挑発も、各種の武力使用を総括する総参謀長の李英鎬氏が主導した可能性が高い」と述べた。


特に、北朝鮮に詳しい消息筋によると、後継者として公式に登場した、金正日キム・ジョンイル)総書記の三男ジョンウン氏も、金日成(キム・イルソン)軍事総合大学で軍事学を学んだ際、「砲射撃」について関心が高かったという。

Chosun Online | 朝鮮日報

 この「じい」の得意を活かし、かつまた後段の理由から大急ぎで正恩の実績づくりをするための一手が、今回の砲撃であったのではないかと思われます。

「若将軍」には、もう時間がない

 金正恩が安泰でいられるのは、父・正日が生きている間だけです。父の生存中に、なんとしても自らの権力基盤を固めておかねばなりません。彼の父・正日が中央委員になってから、祖父・日成の死まで約20年の準備時間がありました。しかし正恩に残された時間(父の寿命)は、2年あるかどうかも怪しいものです。

 もと外交官の茂田氏によれば、ここで正恩には2つの選択肢があります。

金正恩には権威確立のための実績もない。実績作りのために、米韓との緊張を演出し、イメージアップにつなげる方向と、国際環境を改善し経済改革を断行し国民生活の改善を図る方向との二つの異なる方向性の政策が考えられるが、両方とも危険に満ちている。後者の路線は軍との間の軋轢につながるだろう。

金正日と金正恩の後継者への道 - 国際情報センター - Yahoo!ブログ
  1. アメリカ・韓国との臨戦状態を演出する
  2. 思い切った国際協調外交をおこない、経済成長をめざす

の二択で、後者はいまだ実権を持たない身では困難な大改革です。となれば前者――となったのでしょう。

 今回の砲撃には「去年の報復」と「ソウルもこうだ、という脅迫」の2つの意味が汲み取れる、とは前述のとおりです。去年の海戦で負けた恥をみごとに雪いでみせれば、正恩と李英鎬(リヨンホ)の実績になるでしょう。また「邪魔すると、ソウルもこうだぞ」と脅迫しておいて、来たる2011年に核兵器外交で成果を出せれば、さらなる大功績です。

来たる「主体100年」と「生誕100周年」

 北朝鮮のカレンダーは「主体暦」です。金日成(キム・イルソン)がつくったイデオロギー「主体思想」の名を冠し、イルソンが生まれた1912年を「主体1年」と数えます。それによれば今年2010年は主体99年。ということは、金日成の誕生から99年目の2011年こそは、記念すべき主体100年となり、北朝鮮にとって極めて重要な年です。

 記念年ということで、その孫である金正恩が後継者の地位を確立するのに、これほど相応しい年はそうそうないでしょう。今年から来年前半にかけて「さすが、偉大なる金日成さまの孫!」といわれるような目覚しい軍功をたてたいところです。その功績への褒賞として、イルソンの誕生日である4月15日か、あるいは他にしかるべき日をもって、いっそう高い地位に晴れがましく任命されたならば、金正恩の正当性は大いに確固たるものになるでしょう。

 そして再来年の2012年(主体101年)は、建国者・金日成の生誕100周年記念です。(なお2012年は金日成の100周年のみならず、米ロの大統領選、中国の共産党党大会までが重なり、世界情勢が大きく動く年です)

 こういうわけで、父・正日が死ぬまでのあと数年間のうちに軍部を掌握し、権力基盤をかためねばならない正恩としては、2011年または12年までに何らかの軍事的成果を叩き出すことが極めて重要になります。今回の砲撃はその第一手でしょう。

まとめ

 権力継承のために実績が必要だが、もう時間がない、とくに来年の主体100年と再来年の100周年が大事であり、早々に軍事的成果をあげねばならない、というのが事件の背景とみます。こういった状況にあって、旧軍事指導部の汚点となった青海海戦の恥を雪いで金正恩の偉大さを知らしめ、また来年にかけて核武装・核外交で成果をあげるため「邪魔すると、ソウルがこうだぞ」と先にクギを刺してみせたのが、今回の砲撃事件ではないかと考えられます。

 もう時間がない若将軍とそのじいが、手柄を焦って決行したバクチ、その最初の一手、という解釈です。これから2012年にかけて、北朝鮮は軍事的な成果を追い求め、核戦力の強化を軸として強硬姿勢を続けるのではないでしょうか。

 そんなお家騒動で殺された韓国人は悲惨というほか無く、またそういう国を近くにもった日本も不運というほかありません。しかし国内の都合で核武装、ミサイル発射、砲撃と何でもする北朝鮮という国が、現にそばにあるのだから、対処するほかありません。朝鮮半島で戦争が勃発した際や、日本が北朝鮮の攻撃対象となるケースに備え、よくよく防衛体制を堅固にしておかねばならないでしょう。有事の際にまったく被害なしとはいかずとも、敵の攻撃に早期の歯止めをかけ、被害を限定するためです。

 いま燃えているのは韓国領ですが、いつか日本領がミサイルやテロ攻撃で同様の目に合わない保障は、どこにもないのですから。特にこれから来年、再来年にかけて北朝鮮情勢は不穏が続きそうです。

お勧め文献


2002年の小泉訪朝とそれ以降の北朝鮮をめぐる多国間外交を検証した、たいへんな労作です。著者は「同盟漂流」他でご高名な船橋洋一氏。
こういうものを書いてくれるジャーナリストがいるのはありがたいことです。

ビデオ流出の法的な取り扱いについて整理

 ひきつづきビデオ流出事件についてです。この件については過去の記事で2度言及しました。「ビデオ流出による3つの問題」で「非公開とした政府」、「流出による海保の統制」、「今回の件に限らない日本の情報保全体制」の3つの論点があることを指摘しました。続いて「流出犯の自白と、2つの事件の混同」ではビデオ流出事件の容疑者については引き続き法に則って対処されるべきだが、併せて政府と地検は漁船衝突事件において法手続きを曲げたことについて説明と責任を改めて明確にすべきことを述べました。防衛関係の事案ではないのであまりうちのブログで取り上げていても何だかなあとは思いますが、さらに1点だけ整理しておきます。

 海上保安官が衝突事件のビデオをYoutubeに流出させたことについて、法的な取り扱いがどうなりそうか、についてです。

「内部告発」とみなすのは困難

 組織内の人間が、その組織の中の情報を流出させた場合でも、内部告発として保護の対象になる場合があります。組織内で汚職などの違法行為があって、職員がそれを知ったとします。同僚や上司の違法行為を見過ごせず、それを正す目的で証拠品を報道機関などに流出させたとすれば、これは情報流出ではあるけれども正しいことだ、と看做され得るそうです。こういった内部告発者が厳しく罰せられるようであれば、わが身の不利を省みずに組織の違法行為を訴え出る人がいなくなってしまうでしょう。

 ですが今回のビデオ流出事件については、保護の対象になる内部告発とは看做しがたいようです。なぜならばビデオの内容は所属組織の違法行為を暴露するものではないからです。今回流出させられたビデオに映っているのは中国船の違法行為ではあっても、航海士が所属している組織である海上保安庁の違法行為ではありません。よって、内部告発にはならない、といいます。

今回のケースについて、専門家は一致して「公益通報者保護法保護対象にはならない」と言い切る。  


公益通報者保護法では、「労務提供先」、つまり勤務先に「犯罪行為等」の通報対象事実があったときに、労働者がそれらの是正につながる相手にそれらを通報することを「公益通報」と定義している。  


中国船に犯罪行為があったのだとしても、海保職員にとって、中国船は労務提供先ではない。所属する組織の不正を内部から告発するのが内部告発だ。……国民に公開すべきビデオを秘密扱いとし、衝突の状況をいわば隠蔽しようとした日本政府の不当性を告発しようとしたというふうにとらえれば、労務提供先の不当行為の告発ということになるが、その告発の内容は公益通報者保護法が対象とする「犯罪行為等」には当たらない。

尖閣沖衝突ビデオは秘密? その投稿は公益通報? - 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary

 詳しくは上記の引用元を参照して頂きたいのですが、公益通報者保護法のみならず、一般法理における告発者保護についても、今回の場合には保護対象とはなり難いのではないか、という議論が展開されています。実際にどうなるかは裁判をやってみないと分からないことではありますが、リンク先の議論にあるように判断されれば、ビデオを流出させた海上保安官が内部告発者として処罰・処分を免ぜられる、ということはないでしょう。

「守秘義務違反」とみなすのも困難

 上記のように「内部告発」と見なすのはなかなかに難しそうですが、しかしその一方で「守秘義務違反」と見なすのも難しい、ということのようです。海上保安庁が行った刑事告発は「国家公務員法(守秘義務)違反と不正アクセス禁止法違反などの容疑」を挙げています(読売11/8「海保が刑事告発」)。

 公務員が職務上知りえた秘密を外に漏らすことは、当然のことですが、禁じられています。これに反すれば守秘義務違反ということで犯罪とみなされ得ます。しかし流出ビデオが国家公務員法第一〇〇条でいう「秘密」にあたると判断するのは難しそうです。最高裁判所の判例では、国家公務員法でいう「秘密」の条件は下記のように述べられています。

国家公務員法一〇〇条一項の文言及び趣旨を考慮すると、同条項にいう「秘密」であるためには、


国家機関が単にある事項につき形式的に秘扱の指定をしただけでは足りず、


右「秘密」とは、非公知の事項であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいうと解すべき

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319115840703030.pdf

 今回のビデオの場合、一般には非公開とされたビデオではあっても「実質的にもそれを秘密として保護するに価する」か微妙なところです。そもそも海上保安庁は広報目的のためにさまざまなビデオを方針として公開しています。北朝鮮不審船との交戦の模様がテレビで公開された例が印象的です。であれば今回のビデオも「秘密」に価しないのではないか、したがって国家公務員法違反にはならないのではないか、ということです。


 かつまた、公開・非公開が議論となってビデオの取り扱いが厳重になったのは10月18日以降であって、それ以前には海上保安官の研修用に内部でひろく閲覧可能であったと報道されています。

海保関係者によると、各地の海保で撮影した映像や画像は、ほかの地域の海保職員らと情報を共有するため、海保ネット内からアクセスし、コピーなどで入手できるようパソコンの「共有フォルダー」に保存。パスワードなどを入力すれば閲覧できたという。

海保、情報共有で閲覧が慣例化 衝突映像流出事件 - 47NEWS(よんななニュース)

 漁船衝突事件の教訓を海保内で共有し、今後に備えるという意味で、こういった情報共有は自然なことです。10月18日以降は、国土交通大臣の指示によってビデオ取り扱いが厳重化されました。しかしそれ以前にこのビデオにアクセスすることは何ら障害がなかったのであって、ビデオの入手時期によっては不正アクセス禁止法違反に問えるか否かも難しいところです。

 こういった次第で、今回のビデオ流出は保護対象になる「内部告発」とみなすのは難しいけれども、国家公務員法不正アクセス禁止法違反で起訴するのも難しそうだ、ということです。

「処罰」ではなく海保内の「処分」?

 逮捕・起訴が可能であるか否かは取調べの進捗により、また仮に起訴された場合に本当に内部告発とみなされないかは裁判が終わってみないとわかりません。とはいえ上記のようなことからみて、起訴されても裁判で無罪になるか、あるいはそもそも起訴猶予となるかもしれません。その場合は刑事事件としての処罰ではなく、海上保安庁の内規によって処分されることになるでしょう。内部告発として保護されるのであれば処分も難しいが、前述のようにそれは困難であることから、命令不服従か何かのかどで懲戒処分が下されるのではないでしょうか。

 ビデオを流出させたことが刑事事件として罪に問えないとしても、海保の組織統制を維持するため、しかるべき処分は必須です。政府の意見に反対だからといって内部から一々造反者がでているようでは組織が機能せず、治安維持と国境警備の役割を果たせません。また日本政府が自分のコースト・ガードすら統制できないようで外国から信用を得られるわけがありません。対中関係の悪化などという一事の問題ではなく、全方位の外交においてダメージとなるでしょう。

 政府の指示がたとえ誤ったものであっても、それが法律や人権を侵していない限り、海保は忠実に従わねばなりません。政府が誤っていたならば国会の議論において追求し、あるいは選挙で審判を下せばよく、違法性があれば裁判所において理非を糾せばよいのであって、それらがいかに迂遠なように思えても、一公務員が私見をもって独走してよいということにはならないでしょう。下記のような意見が、当を得ているように思います。

漁船衝突事件に対応した石垣海上保安部(沖縄県石垣市)では、職員が硬い表情。停泊中の船から下りてきた男性職員は「情報を勝手に漏らしたことに憤りを覚える」と強い口調。「我々は海保という組織の人間。組織のルールを守らなかったことは残念」と吐き捨てた。……東日本の海上保安幹部は「海保内部で情報をやり取りする際も疑心暗鬼になりかねない」と組織内に”亀裂”が入ることを懸念した。

:日本経済新聞

流出の直後の、朝の電話で、海上保安庁の高級幹部は、その、彼は非常に良心的な人なんで、責任を持って、あれは、あれは、つまりこれはウチしかないと。だからその、ウチの内部だろうと。


で、その時に僕が、心情分かりますかと聞いたら、いや、分かりません!とおっしゃいました。


これは海上保安庁をむしろ破壊してしまうと、こんなことはやってはいけないと、
私たちは海の警察だから、警察官はこんなことはしてはいけないと、血の涙が出ますと、言われました。

ぼやきくっくり | 「アンカー」尖閣ビデオ神戸海保職員流出告白 裁かれるべきは誰?

流出犯の自白と、2つの事件の混同

 尖閣沖の衝突事件の捜査資料であるビデオがYoutubeに流出した事件で、ビデオを流出させた容疑者が自白し、警視庁に引き渡されました。他方で、容疑者が所属している神戸海上保安部には激励の声が数多く届いています。しかし「漁船衝突事件」と「ビデオ流出事件」は関連してはいても別々の事件なのであって、切り分けて考えるべきものです。その上で、「ビデオ流出事件」について法に則った手続きを踏むとともに、「漁船衝突事件」においてその手続きを曲げたことについて、地検と政府はあらためて説明せねばならないでしょう。

自白した海上保安官

容疑者は神戸海上保安部に所属する海上保安官です。ビデオのアップロードが神戸の漫画喫茶から行われたと発覚したのがキッカケになり、自白がなされました。(時事通信11/10)

10日午前9時10分ごろ、乗組員の間で「神戸の漫画喫茶から映像投稿」とのニュースが話題になり、主任航海士の様子がおかしくなった。このため、船長が「大丈夫か」と声を掛けたところ、船長ともう一人に「自分がやった」と告白した。


 主任航海士は「自分で警察に話す」と語ったといい、巡視艇が神戸港に接岸後、警視庁の捜査員に身柄を引き渡された。(2010/11/10-19:47)

時事ドットコム

ビデオを流出させた動機などについてはまだ確かな情報がありませんが、テレビの報道ではこういうコメントがでています。

この海上保安官はNNNの取材に対し、映像の流出にかかわったことを認めた上で、「誰にも相談せず一人でやった」と話した。また、「映像は元々、国民が知るべきものであり、国民全体の倫理に反するものであれば甘んじて罰を受ける」という趣旨の主張をしていた。

日テレNEWS24 | 動画で伝える日本テレビのニュースサイト

  身柄を引き渡された航海士は、事実関係の取調べのあと、正式に逮捕されることになるでしょう。ビデオ流出事件は2日前から国家公務員法(守秘義務)違反容疑で刑事告発されているからです(AFP 11/8) 彼が流出させたと称しているビデオは未だに捜査資料として扱われており、それを根拠として政府は非公開の方針でおりました。肝心の捜査機関たる海保の職員が、捜査資料を、政府の方針に反逆して流出させたということで、自白が事実ならば逮捕は避けがたいでしょう。

 これに関しての私の所見は先の記事で述べたとおりですが、以下に引用するsionsuzukazeさんのご意見に完全に賛同するものです。

今回の映像をアップロードした人間が「真実を見せてやるぜ」以上の意識は無かったと考えますが、それは故意ではないとしても、政府方針に反する行為であることは明らかで、増してそれが公務員の側から、となればそれは「情報を活用できる能力、知ることに対する責任と義務」が欠如していると言えるでしょう。……


政府が決定したことを現場が覆すようなことが頻発すれば、そのような政府とどの国が約束事をするでしょうか。相手だって約束を守る気などなくなりますし、それを非難などできないでしょう。……「圧倒的民意を得ようが政府としての基板が甚だ貧弱で政府機関さえ統制できない」という貧弱っぷりを全世界に公然と晒すことが「国益」などになるわけが無いではないですか。


「公開」するのであれば、それは政府自身の手によってさせるべきで、そのために圧力をかけるのは構いませんが、このような無秩序に快哉を叫ぶ神経を自分は疑わざるを得ません。

はてなダイアリー

 政府の方針に反発した当該機関の公務員が一々暴発しているようでは、行政はなりたちません。とくに外交事案においては、社会的に意見がわかれる政治判断なんて何度となく起こりえます。そんなとき一々後ろから撃たれているような政府は自国からも外国からも信頼を受けないでしょう。政府の行為に明確な違法性があって、それを内部情報を用いて内部告発したというのならば話は別です。しかし今回のように明確に違法とはいい難いが意見が分かれる政治判断について、ただ自分の意見と異なるために暴発するような人がいては組織的な統制がとれません。

 そもそもビデオを非公開にするという政府の判断は正しかったのか、あるいはそういう政府の意向を汲んで未だに不起訴処分をしていない地検の態度は誤っていないか、といった諸問題についてはそれぞれに論じられなければならないでしょうが、他方で行政組織の統制を維持する必要性から、今回の流出犯は取調べ、逮捕、起訴のうえ裁判で理非を明らかにして法律に則って処分されるべきでしょう。「漁船衝突事件」において政府の判断が不当だったとしても、「ビデオ流出事件」を起こした海上保安官の(意図はともかく)行為までが正当だとは必ずしも言えず、まして免罪してよいということにはなりません。

 一方で逮捕は流出犯を英雄にし、政治不信を高める恐れが大です。

 

神戸海保へ「激励」の声、または5.15の風景

 もともと今回の流出事件では、そもそもビデオ非公開が間違っているのだ考える市民から「よく流出させた! 勇気ある告発だ」という賛意の声がみられました。ビデオ流出直後から、海保には激励の声が寄せられたといいます。(時事通信11/6)

尖閣諸島沖での漁船衝突事件を撮影したとみられる映像がインターネット上に流出して以降、海上保安庁には「激励」の電話やメールが相次いでいる。
同庁によると、広報部門には5日午後7時半までに一般から114件の電話が寄せられた。このうち、海保側が「応援的だ」ととらえているのは83件。「よく公開した」「断固海保を支持する」といった映像が公になったことを評価する声から、「犯人捜しをしないで」「尖閣諸島に上陸して」との内容まであったという。

時事ドットコム

 今回の海上保安官の自供によって、彼が所属している神戸海上保安部には改めて400件ほども激励の声が届いているそうです。(時事通信11/10)

 神戸海保には夜までに、電話とメールが400件以上寄せられた。「頑張れ」「捕まえないで」など、ほとんどが保安官を激励する内容という。


 東京・霞が関海上保安庁。首脳級幹部の一人は記者と目を合わせようとせず、問い掛けにも口を真一文字に結んだまま。別の幹部は「一般の人が応援してくれるのはうれしいが、それと証拠の流出は別だ。ああいう映像が出たら、領海警備などに支障が出る。海上保安官として考えられない」と肩を落とした。

時事ドットコム

 そもそもビデオ非公開が間違っているのであって、国民の知る権利を妨げていた、という観点に重きをおけば「このビデオは本来、国民が知るべきものだ」という流出犯の意図に共感するのは自然なことかもしれません。かかる状況で流出犯が逮捕、起訴されたならば、流出犯にはさらなる同情が集まるのは避けがたいでしょう。

 政治が信用できないとき、それに反発して暴走した公務員に賞賛があつまる――規模や暴走の内容はまるで異なるとはいえ、どこかで見たような風景です。こういう場合、いくら心情的に賛同できたとしても、それによって違法行為を免罪するか、不当に軽い処分で済ませた場合、悪しき前例となってさらなる暴走を呼ぶことになりかねません。

 

容疑者には法に則った手続きを。政府と地検はかつてそれを曲げた説明と責任を。

 ここに至って、ジレンマが成立します。政府機構の統制を維持するためには流出犯が厳正に処分されねばならないが、流出犯のみが厳正に処分されることは政府の信頼をさらに貶めることになるでしょう。違法操業をやり、衝突事故をおこした中国漁船の船長は、一度は逮捕されたものの、釈放されました。

中国人船長は無事に釈放されたけれど、それに怒った海上保安官は逮捕され、裁判にかけられる。この何とも言いがたい対照は、「理不尽だ」と思う国民の不満と政府不信を招かずにはいないでしょう。

 流出事件の容疑については裁判で明らかにされなければなりません。それと同時に、「ビデオ流出事件」について法に則った手続きを求めるなら、「漁船衝突事件」においてそれを曲げることを許した件を、政府は今一度説明すべきでしょう。さもなければ政府不信はさらに止め処なく進んでしまいます。

 世論沈静化のためにより望ましいのは、容疑者の起訴に併せて、このような事態を招いた管理責任を海保上層部がとるのみならず、ビデオ非公開という判断の結果責任を内閣のしかるべき人が取ることですが、それは望み薄かもしれません。

ビデオ流出による3つの問題

 尖閣諸島沖で中国漁船が海保の巡視船に体当たりしてきた事件で、公開だ、非公開だと議論になっていたビデオがYoutubeに流出しました。ビデオの内容と検証画像は「週刊オブイェクト」で見られます(参照「尖閣衝突ビデオが流出 : 週刊オブイェクト」)。NHK他の報道によればこのビデオは本物の可能性が高いようです。すでに海保はこれを本物とみて、流出経路の調査をはじめました。(NHK 11/5)

 この流出事件にはネット上、報道ですでに色々な意見が出されていますが、大別すれば論点は3つに分かれるでしょう。第一にはこのビデオの公開に一貫して抵抗、反対し続けた政府の判断と能力への疑問です。第二には、恐らく個人的な暴走によってかかる流出をおこなった容疑者の処罰と統制の問題です。第三にはこのような流出が可能であった、海保、ひいては日本政府の情報保全体制の問題です。

政府の問題

 流出ビデオの内容は、これまで断片的に報道されてきた衝突事件の実態と一致しています。海保の巡視船は一定方向に進んでいるのに、中国漁船の側が針路をかえ、意図的にぶつけてきています。

 ビデオの内容を見る限り、宣伝戦と外交の観点からして、一般公開を拒否してきた政府の判断力に疑問符がつきます。外交戦で武器として使えたはずのものを、みすみす死蔵してムダにしたことになるからです。ビデオ非公開については「中国のみならず、海保にとっても非常にマズいことが写っているのではないか」と疑う声もありました。しかし、少なくとも今回の流出分を見る限りでは、中国漁船の非をありありと証拠立てるのみで、日本側に不利そうな情景は見当たりません。もしこのビデオを中国が反論している時期に公開すれば、国際世論を日本側有利へコントロールする、宣伝戦に活用できたはずです。

 あるいは、最終的には公開しないとしても、中国に矛を収めさせ、今回の係争を終わらせるために「公開するぞ」というカードが使用できたでしょう。そういう水面下の交渉に成功した結果、非公開のかわりに中国に矛を収めさせられたなら、ビデオは活用されたといっていいでしょう。しかし実際には、今に至るもまともに首脳会談も開催できない状況にあります。

 よって政府がビデオ公開を渋りつづけたことで宣伝戦についての判断力に、ビデオ非公開を代償にした交渉をしなかったか、しても失敗したらしいことからは交渉能力に、それぞれ大きな疑問符がつくでしょう。

統制の問題

 流出したビデオは政府の判断により、一般公開が見送られ、一部議員のみへの公開となったものでした。今回の流出は海保または検察に関係する人物が、恐らくは政府の判断を不満に思い、暴走したものと推測できます。前述のように政府の判断に疑問がないではなく、不満を訴える声は政界にも、民間にも多くありました。また海保の現場にも不満が生じていただろうことは容易に想像できます。

 しかし、政府の判断に逆らって、恐らくは公的機関に属する個人が暴走することは、それがどれほどの快事であっても、認められません。海保長官や閣僚は、徹底した調査をすると述べていますが、もっともなことです。

鈴木海上保安庁長官は「ビデオは、海上保安庁と検察当局の両方で保管しており、厳重に保管している。大事なテープなので、しっかりと管理してきたつもりだ」と述べました。そのうえで鈴木長官は「わたしが見た映像と、今回投稿された動画が同一かどうか定かでなく、内容も含めて調査中だ。けさ、石垣海上保安部に担当官を派遣し、徹底的に調査することにしている」と述べました。


また、前原外務大臣は「仮に海上保安庁が撮影した映像がベースとなって流出したのであれば、情報管理の面できわめてゆゆしきことだ。政府の情報が流出したということであれば、事件として扱わなければいけないし、徹底的に捜査すべきだ」と述べました。

NHKオンライン

仙谷長官は、海上保安庁が行っている調査について「時間をかけてするものではなく、数日以内に行うべきだ。公務員が故意に流出させる行為を行ったなら、明らかに国家公務員法違反であり、調査から捜査に切り替える判断も数日以内に行われないといけない」と述べました。

NHKオンライン

 今回の流出を「よくぞやった」と思う人は多いでしょうが、しかし個人的な正義感が横行するなら、いつ、どんな方向への暴走が生じるかわからないからです。ビデオを流出させた個人、恐らくは近いうちに「容疑者」と呼ばれることになる人物を速やかに特定し、処罰せねばならないでしょう。このことは中国側の軽挙、日本政府の判断への疑問などとは分けて考えねばならないでしょう。

情報保全の問題

 今回のビデオは公開・非公開が流出した先がYoutubeであったから直ちに発覚したわけですが、ネットにアップされなければ盗まれたことに気づけなかった恐れもあります。また、厳重に管理されていたはずのビデオが流出するのであれば、より一般的な捜査資料の機密保全はどうなっているのか、という話です。捜査資料が例えば犯罪組織などに流出し、ひそかに利用される、というようなことも考えられるので、この際、情報保全体制の見直しが必要となります。

 先日、台湾では軍人が買収され、機密情報を中国に流出させていたことが発覚しました。

対中諜報(ちょうほう)工作を担当する台湾軍の現役大佐が中国に軍事機密を漏洩(ろうえい)した疑いで逮捕された事件は、中台の諜報戦でも中国が優位にあることを印象づけた。……


 中国が改革・開放政策に移行した1980年代以降は、台湾からあまたの人と資金が流れ込んだ。中国の政府・軍幹部などがビジネスマンを装った台湾諜報員に買収されて機密情報を売り渡し、重刑に処される事件も少なくなかった。


 ところが近年は逆に台湾の現、元軍幹部や技術者などが中国に買収される事件が相次いでいる。経済や軍事力で台湾を追い越した中国が、豊富な資金力を背景に諜報戦でも優位に立ち始めた観がある。

MSN産経ニュース

 個人的な暴走によって内部の人間が情報を外へ流せるような管理体制であれば、このように外部から意図的に情報をもとめて浸透があった場合に、きちんと情報が守られているとは考えがたいことです。日本の政府機関では一般的に情報の保全、アクセス管理体制に問題があるといわれています。このことは、特に情報保全がもとめられる防衛分野では国際協力の阻害要因にもなっています。

 対照的に日本に著しく欠けていることは、政治家など政府関係者などの情報へのアクセス管理のシステム化である。政府関係者がワシントンを訪れて「これはオフレコだが・・・」と得意気に情報を垂れ流し、防衛省のデータ流出事件などに対して抜本的な防止策が取られているようには見えない。


 それ以前から、米政府は日本の情報管理体制に不信感を募らせ、日本との機密情報共有に積極的ではないと言われている。包括的な情報管理制度が存在しない日本に対し、2007年の「イージス艦中枢情報漏洩事件」などで決定的となった米国の不信感は未だ払拭されていない。


 2010年3月29日の岡田・クリントン日米外相会談で「情報保全についての日米協議」(BISC)を設置することで合意したが、今後、日本でも政府関係者に対するセキュリティークリアランス制度の必要性が積極的に議論されるべきである。

機密保持で信頼されない日本 外交文書の自動公開は画期的だが・・・ (3/3)

 このような状況があるので、単にビデオを流出させた容疑者、あるいは今回の事件のみに限らず、政府機構全般そして役所よりよほど脇が甘いといわれる政治家を含めた情報保全を見直していかねばならないでしょう。