リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

分断の声、統合の歌

2019年2月24日には、2つの行事が予定されています。

東京では、天皇陛下御在位30年記念式典

沖縄では、辺野古移設又は新基地建設への賛否を問う県民投票

憲法で確認されている通り、天皇は日本の統合の象徴です。その天皇陛下の式典の日に対し、沖縄県知事が敢えて県民投票の日を合わせたのは、「沖縄は日本の一部としてきちんと扱われていない」という抗議をもっとも痛烈な形でぶつけたい思いがあるのでしょう。もっともそのメッセージが功を奏して普天間と辺野古の両基地が共に無くなる可能性は無きに等しいので、怒りの声は「やっぱり聞き届けられない」と言う落胆となって、かえって分断を深めるでしょう。

戦中、戦後を通じて多大な犠牲を強いられてきた沖縄県を、陛下は11回に渡って訪問されてきました。その中で、かつて沖縄への思いを作詞された歌を、今年の式典でアーティストの三浦大知さんが歌うそうです。彼は奄美大島にルーツをもち、沖縄県で育った方です。決して日本は沖縄を抑圧する他者ではなく、一体のものだという融和のメッセージがありありと感じられます。

本土側からのメッセージは、式典に限らず、今後も繰り返されるでしょう。米軍基地の返還促進や沖縄経済の振興などによって。

しかし、中国が台頭する向こう数十年の間、沖縄は軍事的な要衝であり続け、したがって沖縄の基地負担は軽減されことすれ、無くなることはほとんど考え難いことです。

仮に在沖米軍が完全撤退するとすれば、それは中国があまりにも強くなりすぎ、アメリカが琉球諸島を防衛ラインの外側に置いた場合です。万一そうなれば、かつてアチソン国務長官が防衛線から韓国を外した(ように誤解された)ときに、朝鮮半島で何が起きたか、我々は思い出すことになるでしょう。

かといって、このままでは沖縄の被抑圧感情は、分離主義を育てるでしょう。ある国家の中で、特定の地域に住む人たちが「我々は、違う」と考えた時に何が起きるか。そこへ善意の顔で近づいてくる人々は、善意に満ちた帝国主義者かもしれないと、我々は数年前のクリミアを思い出さねばなりません。

だからって、どうすればいいのか。

あるいは向こう30年の間、分離主義の生育を遅らせることができれば、中国と沖縄の人口動態が共に変化することに、希望をもってもいいでしょう。しかし、さらなる30年のなんと長いことか。

その間、抑圧の終わりを求める声を、融和の歌が押しとどめることができるのでしょうか。

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Nスペ「総理秘書官が見た沖縄返還」の感想メモと勝手に補足

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2015年5月9日のNHKスペシャルは「沖縄返還」をとりあげていました。沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作首相の秘書官が私蔵していた史料をとりあげ「核抜き、本土並み」の返還を目指した交渉の一端を明らかにしています。

沖縄返還時に問題になったのは、在沖米軍基地と、そこに配備されていた核兵器の扱いです。本番組の内容を抜粋しつつ、ちょっと言い足りないなあと思った部分を勝手に補ってみます。

沖縄返還の条件

沖縄返還を実現するには、条件がありました。日本とアメリカの両国が軍事的に損をしない形で返還を実現する、ということです。佐藤首相は米側のハリー・F・カーンと交渉する中で、こう述べたそうです。

沖縄の祖国復帰を1日も早く実現したい。しかも日本の安全をいささかも弱めないで解決する方式があるか、その方式は何かということだ。

(佐藤栄作 1963.12.9 ハリー・F・カーンとの会談)

 沖縄は日本に返還されなければなりません。同時に、日本は日米安全保障条約と在日米軍にその安全を依存しています。沖縄返還によって東アジアにおけるアメリカ軍の展開能力が損なわれると、地域の平和が脅かされ、めぐりめぐって日本の安全も損なわれます。

 よって、安全保障と沖縄返還をどう両立させるかが問題でした。

沖縄の米軍基地は何のためにあったか

 ハリー・F・カーンは、佐藤首相に対してこう述べたそうです。

米国にとって日本本土及び沖縄の基地は、基本的に朝鮮半島での事態に対処するために必要なのだ。朝鮮半島における事態に対処する戦略的な根拠地はホノルル、あるいはグアムだが、米国を支援する後方基地として、日本と沖縄の果たす役割は絶対だ。1963.12.9 ハリー・F・カーン

 北朝鮮と韓国の戦争が再開すれば、沖縄を始めとする米軍基地から出動する米軍は、韓国の滅亡を防ぐ最後の盾になります。

 この会談からわずか13年前におきたのが1950年の朝鮮戦争です。その時、韓国の首都ソウルはまたたくまに陥落し、朝鮮半島南端まで追い詰められました。米軍を始めとする国連軍が必死で防戦しなければ韓国は滅亡し、いま朝鮮半島はその全土が金正日の銅像を拝む国になっていたでしょう。

 その防戦の後方拠点になったのが日本列島です。沖縄返還によって米軍の作戦能力が低下すれば、北朝鮮は今度こそチャンスと思って、再び南進を企むかもしれませんでした。

沖縄返還の代償

 また、当時の沖縄には核兵器が配備されていました。核兵器を置いたまま沖縄が返還されれば、非核三原則の「持ち込ませず」に背きます。強い反核兵器の国民感情を考えれば、沖縄返還時には核兵器を撤去してもらうべきでした。

 しかし米軍としては、せっかく配備した兵器を撤収したら抑止力が低下してしまうから、何か代わりの手段が欲しいところです。

 そこで、69年の会談で、佐藤首相はこう言ったそうです。

朝鮮半島情勢に対処するためには、何も沖縄に核を置く必要はないだろうし、むしろそのような核なら韓国内に置いたら良いだろう。

もっとも、そういう事態が発生したら、米軍は、日本本土の基地を使えば良いのだ。その結果、日本が戦争に巻き込まれても仕方がない。

1969.2.28 佐藤栄作 ハリーカーンとの会談

 朝鮮戦争が再開したら、日本本土の在日米軍基地も展開拠点として提供するから、沖縄の基地にこだわる必要はない、ということです。

 これは1960年代当時には、ひどく踏み込んだ発言でした。当時の日本は日米関係を「軍事同盟」だと公言することすら、政治的に困難な時勢でした。そんな中でいまでいう「周辺事態」にまで踏み込むことは、政治的に危険極まりない発言です。

 佐藤はさらに続けます。

朝鮮半島で米国が出なければならないような事件が起こった場合、日本がそれに巻き込まれるのは当たり前だ。

このこと自分の口から言うのは初めてだ。国会でも、もちろんこんなことを言ったことはないし、絶対に口外しないで欲しい。

1969.2.28 佐藤栄作 ハリーカーンとの会談

 第二次朝鮮戦争のように、東アジアで米軍が介入せざるを得ない事態になれば、日本は沖縄に限らず米軍基地の使用を認めることで、アメリカに協力する。その結果、日本が攻撃されても仕方がない、という判断です。

 米軍に展開拠点を提供するという負担を、沖縄だけでなく、本土も分担することを申し出たのです。そうすればアメリカが沖縄にこだわる必要は低下します。そのかわり、本土が第二次朝鮮戦争に巻き込まれることになるというリスクと引き換えです。

 沖縄だけが負っていた潜在的な危険を本土も分担することで、返還を実現しようとしたのです。

沖縄の核兵器はなぜ不要になったか

  ところで佐藤は「朝鮮半島情勢に対処するためには、何も沖縄に核を置く必要はないだろう」としています。Nスペでは触れられていませんが、この佐藤の認識は誤りです。沖縄の核兵器は朝鮮戦争の抑止というだけでなく、中台戦争の抑止という意味合いもあったからです。

 当時の沖縄に配備されていたのはMk-6とMK-39という二種類の核爆弾と、「メースB」と通称される地対地巡航ミサイルです。核爆弾の方は爆撃機に積むことで、容易に朝鮮半島にも投入できます。しかしメースBの方は地面から発射するミサイルですから、容易には移動できず、朝鮮は射程外です。

 メースBは明らかに対中国用でした。1958年の台湾海峡危機、中国と台湾の間で戦争が勃発しそうになったことを契機として、中国を抑止するために配備したものです。

 これが沖縄返還のときに撤去されたのは「本土の基地も使用することを日本が認めたから」では説明がつきません。中国に対して使用するなら、沖縄よりはるかに台湾海峡から遠い本州の基地は利用価値が低いからです。

 この点を解消したのが「核持ち込みの密約」と、軍事技術の発展です。詳しくは過去の記事で書きました。 

 潜水艦から発射する核ミサイルの信頼性が向上したことで、沖縄のような前方に配備する核兵器の価値が低下してきたのです。

返還の軍事的裏付け 

 NHKスペシャルでは「東アジアで米軍が戦う際、本土の米軍基地も使って良い」と認め、沖縄の負担を本土で分け合うも分け合うという佐藤の提案を取り上げていました。

 核兵器の撤去について補足すると、沖縄に配備して意味があるような核兵器よりももっと便利な核兵器が開発されたことが「核抜き」の返還につながりました。

 沖縄は軍事的要地であり、沖縄問題にはつねに軍事的背景がまとわりついています。軍事的にプラスであるか、少なくともマイナスではない方法を選ばないと、政治課題の実現は難しいのです。

 この難しさは、返還時に限りません。現代では、沖縄の戦略的価値は大きく変質しています。軍事情勢と、軍事技術が、返還当時とはまるで異なるからです。この差異をよく理解しなければなりません。

 一方で変わらないこともあります。色々な制約の中で、妥協を積み重ねながら目的を果たしていくのが、政治の技術だということです。その先例を垣間見られる番組でした。

 ご興味の方はNHKオンデマンドでどうぞ。

参考文献

 沖縄返還に限らず、核兵器と日米関係についてはこの本が詳しいです。

この道はいつか来た道 〜クリミア併合とエチオピア併合

2015年3月、日本の元首相の鳩山由紀夫氏がクリミア半島を訪問しました。NHKはこう伝えています。

ロシア国営テレビは鳩山氏の一連の訪問を連日詳しく伝え、この会見についても、現地時間の午後(日本時間11日夜)の全国ニュースで取り上げました。
このなかで、「鳩山氏が、『クリミアの住民投票が民主的な手続きで行われ、住民の意思を反映していることを確信した』と述べた」と伝えました。(ロシアTV「鳩山氏がロシアに理解」と報道 NHKニュース15.3.11)

クリミアに関するニュースを思うとき、私はエチオピアを思い出します。この2つの地域と国には共通点があります。国際社会の現状を変革しようとする国が武力を背景に国境線を変更し、そしてその一撃が、世界の秩序を揺るがせた、という共通点です。

 この記事では、そもそも国家がある土地を領有できる仕組み、国境をめぐる戦争を人類がどう克服しようとし、そして失敗してきたかを振り返ります。その上でクリミア併合を考えれば、何が見えてくるでしょうか。 

あなたの国を作る6つの方法

 国家がある地域を「ここはオレ達の領土だ」という権利は、どこから生まれるのでしょう? 伝統的な国際法では、その権利の発生源(領域権原)を6つほど認めています。先占、添付、征服、割譲、併合、時効です。

その1「先占(せんせん)」は、どの国も領有していない無主の土地にのりこんで、誰より先に支配することです。

その2「添付」とは、メールに画像をくっつけることではなくて、勝手に領土が増えること。海底火山の噴火で新しい島ができたり、川が土砂を流すうちに海が自然に埋め立てられたりするのがこれです。

その3は征服。相手国の領土に軍隊を送って占領し、領有の意志をもって支配することです。

その4と5、割譲と併合。2カ国が交渉し「この地域を譲渡する」と合意するのが割譲。さらに進んで「全地域を譲渡する、お宅の一部になる」というのが併合。

その6「時効」は、他国の領土であっても、長期間、平穏かつ実効的に支配を続けたことで「あそこは(事実上)あの国の領土だよね」と認知されることです。(ただし、ほとんど認められません)

あなたが自分の国を作りたければ、例えばこうしましょう。

はるか沖合いにどの国にも属さない無人島をみつけて建国を宣言(先占)

島が自然に隆起して領土が広がる(添付)

強い軍隊を作って他国に攻め込み、一部占領(征服)

武力を背景に「ここも寄越せ」と交渉して分捕る(割譲)

その調子で全部とることに合意させる(併合)

長年に渡ってオラが国だと言い続けて認知される(時効)

かくして、あなたの国は立派な帝国主義国、国際社会の一等国となれるでしょう。ただし、19世紀ならね。

武力による国境変更の禁止

19世紀の昔、列強と呼ばれる大国たちは、戦争の勝ち負けで領土をとったりとられたりしていました。しかし、20世紀になると考えを変えます。機関銃や毒ガスといった近代兵器で第一次世界大戦争をやり、あまりに悲惨な現実に直面すると、人類は「もうこんな時代には戦争なんかできない、しちゃいけない」と思いました。

そこで1928年に「不戦条約」が成立。「国際紛争解決のために戦争に訴えてはならない」「平和的手段による以外の紛争解決を求めない」というこの条約に、当時の世界のほとんどの国が加盟しました。

こうして、かつて見られたように、戦争なりその脅しなりで国土を拡張することは禁止されました。武力を行使した「征服」、武力を背景にした「割譲」「併合」が禁止されたのです。

では、戦争のかわりに、何をもって揉め事に白黒つけるのか? それが国際連盟です。連盟は仲裁裁判の場を設け、紛争を平和的に解決します。裁判に従わず、武力を用いようとする国には、国際連盟加盟国が一致して制裁を行う、という仕組みです。

20世紀初頭、人類は世界平和への大きな一歩を踏み出したといえるでしょう。ただし、二歩目で転倒しました。

エチオピア併合

イタリアは長いあいだ、エチオピア併合を計画していました。イタリアの植民地であるエルトリア(名前が似ていてややこしいですね!)に近いから素朴に領土拡張欲をそそられます。それに、19世紀にエチオピアを植民地にしようとして攻め込み、ヨーロッパ人には珍しくアフリカ人と戦って負けたことは、イタリアのファシスト達にとって屈辱の記憶でした。

そこでイタリアは1935年10月、軍隊をだしてエチオピア侵略を開始しました。その件で開かれた国際連盟は特別会議で、イタリアへの経済制裁を決めました。イタリアとの輸出入の多くの部分を禁止したのです。

ですが、制裁は最初から骨抜きでした。チャーチルのいう「それ無くしては戦争がつづけられないという石油(チャーチル著「第二次世界大戦」)」が、禁輸品目から除外されていました。

フランスとイギリスが、イタリアに甘かったからです。フランスの外相ラヴァルと、イギリス外相ホーアは12月に会談し、エチオピアの半分を国際連盟の統治とし、もう半分をイタリア統治区にするという和解案を考えました(ホーア・ラヴァル案)。不戦条約を破り、連盟規約を踏みにじった侵略国イタリア、その侵略の成果を公認してやろうというのです。

この案は新聞にスクープされたために一時頓挫します。しかしその翌年3月、ドイツのヒトラーが、非武装地帯のラインラントに軍隊を派遣。ドイツの脅威にうろたえた英仏は、イタリアどころではなくなりました。

そうこうするうちに5月。イタリアはエチオピアの戦いに勝利。エチオピア皇帝は国外に脱出。イタリアはエチオピア併合を宣言。7月までには経済制裁も解除されます。

こうしてエチオピア併合は国際社会に黙認されてしまいます。これを容認したことが、欧州征服の野望に燃えるヒトラーを誘惑し、ついに第二次世界大戦につながります。

戦争を招いたラヴァル外交の平和主義と楽観主義

f:id:zyesuta:20150312002839j:plainラヴァル外相

なぜ英仏はこうも侵略国イタリアに甘かったのでしょう? 親イタリア、親ファシズムで知られたフランスの外相ラヴァルは、経済制裁から石油を除いた理由を、後にこう証言しています。

「もし石油制裁が適用されるならば、イギリス・フランスとイタリアの間に戦争が起きたであろう。それは1935年の世界戦争となる。…私は戦争に反対である。私は暴力に反対である。さらに私は人間の生命を尊重する」(齋藤孝著「第二次世界大戦前史研究」p123-124)

この平和主義的な言葉と裏腹に、実際にはラヴァルの外交は戦争を招きました。イタリアとの戦争を恐れ、イタリアの侵略を容認したことが、ヒトラーへの誘惑となりました。不戦条約があろうが、国際連盟に批判されようが、要は英仏と直接交渉して懐柔すれば、何をやっても許されるようだ、と。

ラヴァルは楽天主義でもありました。イタリアと和解すれば、イタリアは対ドイツ包囲網(ストレーザ戦線)に復帰してくれるだろうし、そうすればドイツとも和解が成立する、と甘く考えていたのです。

しかし結果的にはイタリアの独裁者ムッソリーニから「ラヴァルはファシズムを理解する唯一の政治家だ」と、褒められているのか馬鹿にされているのか分からない評を受けながら、いいように転がされてしまいました。

 結局彼はイタリアを止められず、ドイツも止められず、ついに彼の国フランスがドイツに征服されてしまいます。

戦争を嫌い、相手の言い分にも理解を示し、和解すれば常に平和が訪れるほど、世の中は都合よくできていないのです。 なお、その後のラヴァルはドイツの属国となったフランスで副首相をつとめますが、ドイツの敗戦後、裁判で国家反逆罪となり、処刑されます。

国連憲章の時代と、国境の不可侵

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ラヴァルが処刑された1945年、国際社会は国際連合憲章をつくり、今度こそ武力の行使を禁止。戦争を行わない世界、武力で国境線を変更しない世界を再び作り上げるべく、努力を再開しました。

多くの戦争があったものの「国境線を武力で変更しない」「国際紛争では、先に軍隊を出した方が悪者、侵略国」というコンセンサスは何とかできあがりました。

1970年には国連総会で採択された「友好関係宣言」で、世界各国はこう宣言しました。

国の領域は、武力による威嚇又は武力の行使の結果生ずる、他の国による取得の対象とされてはならない。(友好関係宣言 1970)

こうして「征服」や武力を用いた「併合」は、国際法上の根拠としては否認されました。

その後、1990年にイラクはクウェートを侵略し、全土を「征服」して「併合」を宣言します。イラクの独裁者フセインは、時代錯誤にも、国連加盟国であるクウェートを世界から消滅させられると考えたのです。

国連安保理はイラクによるクウェート併合宣言は無効だと、ただちに宣言し返しました。そして国連に授権された多国籍軍が組織され、イラク軍と戦って追い払い、クウェートの独立を回復しました。

ここにおいて、国連を中心とした国際安全保障の秩序が、一時的に復活しました。

クリミア併合

f:id:zyesuta:20140813171205j:plain(写真引用元:BBC)

 しかし、エチオピア併合から79年後の2014年。ウクライナ領のクリミア半島に、国籍を隠したロシア兵が多数侵入。親ロシア派の住民を背景に、クリミアを実質的に占領した上で住民投票を実施。プーチン大統領はロシア連邦へのクリミア併合を宣言しました。

 クリミア共和国がウクライナから独立し、ロシア連邦に編入、という形です。ロシア軍による「征服」なら侵略だし、「割譲」ならウクライナ政府の同意が必要です。しかしクリミアの人民が自分の意志でウクライナから独立するのは自由だし、独立したクリミアが1つの主体として自らロシア連邦に帰属したいと申し出るなら、ウクライナ政府の意志は問われない、という体裁です。

 もっとも、事実上は軍事占領してから住民投票をしたり、分離主義者に武器を援助して内戦を煽ったりするのは、古典的な侵略の方便ではあり、まともな国が認めるはずもありません。

 多くの国がロシアへの経済制裁を行い、そこそこ効果をあげていますが、ロシアの意志を変えるには至っていません。勢いにのるロシアは、東部ウクライナにおいてドネツク共和国、ルハンスク共和国を称する親ロシア派勢力を支援し、ウクライナで果てしない内戦を起こしています。

 東部の親ロシア派にすら勝ち得ないウクライナ政府軍では、クリミア奪還など夢のまた夢です。ヨーロッパやアメリカも、ロシアを批判しつつも、ウクライナに軍隊を送るつもりは全くありません。

 クリミア併合を近い将来において覆すことは不可能でしょう。区々たる岩礁の争いを除くならば、ロシアは冷戦終結後、初めて武力を背景にして大々的な領土拡張に成功した大国となりました。いや、古めかしく「列強」と呼ぶべきでしょうか? 21世紀の世界秩序が解体し、世界史のカレンダーが局地的には19世紀まで逆流しつつある可能性を思うならば。

解体する世界秩序と戦略的辺彊

 リチャード・ハースはこの状況をして、クリミアだけの問題ではなく、世界秩序の問題になりうると指摘しています。(過去記事「解体する世界秩序」)

国際社会には「力で他国の領土を奪うことは許されない」とする一定のコンセンサスが曲がりなりにも存在した。

1990年にクウェートを侵略したサダム・フセインを押し返すために広範な国際的連帯が組織されたのも、こうした原則とルールが国際社会に受け入れられていたからだ。

しかしその後、力による国境線の変更は認めないというコンセンサスも揺らぎ始めた。事実、2014年春にクリミアを編入したロシアは、かつてのイラクのようには国際社会から批判されなかった。

今後、論争のある空域、海域、領土をめぐって中国が力による現状変更を目的とする行動に出ても、国際社会がどのように反応するか分からない状況にある。リチャードハース「The Unraveling」 フォーリンアフェアーズリポート2014年11月号 p7)

 エチオピア併合のあとにドイツによる欧州侵略が生じたように、クリミア併合はウクライナだけではなく、世界の他の地域でも、現状への不満と野心を抱く国を勇気づけはしないでしょうか? 

 例えば、中国は近年著しく軍備を拡張するとともに、東シナ海・南シナ海で離島の領有権を強く主張しています。この政策の裏付けになっているといわれるのが徐光裕提督が1987年に発表した「戦略的辺彊」論です。

徐光裕が発表したこの理論は、軍事力によって国境が動かせることを説いています。…軍事力に優れた国は、平時の国境よりも広い範囲を軍事的に守ることができるでしょう。この時、地理的な国境より外側にあり、戦略的な国境の内側にある範囲を『戦略的辺彊』と徐は名づけます。…軍事力で実際に支配できる範囲を国境の外にまでドンドンと広げ、『戦略的辺彊』を長期間にわたって保つならば、やがてそこまで地理的国境を拡大することができる、と徐は論じます。(過去記事「中国の離島侵攻プランと『戦略的辺彊』」)

蟻の一穴。だとすれば誰が次のエチオピアになるのか?

洪水を阻む大きな堤防が、時として、アリが掘り抜いた小さな穴から崩れてしまう、という例えがあります。ごく小さな蟻の一穴も、そこに膨大な水が続くと、大洪水の始まりになります。

人類は数十年をかけ、大きな堤防を築いてきました。それは「武力で国境を変更してはならない」と固く刻まれた規範です。クリミア併合がそれに穴をあけたとすれば、やがてその1点から水が漏れ出し、濁流となって、全てを押し流してしまうかもしれません。

再び遡って1936年、イタリアがエチオピア併合を宣言し、国際社会がそれを事実上追認したとき、国際連盟のハイチ代表はこう語っています。

「大国か小国か、強国か弱国か、近隣の国か遠方の国か、また白人の国か非白人の国かを問わず、いつの日か我々も、誰かにエチオピアにされるかもしれないということを、決して忘れないようにしよう(ジョセフ・ナイ「国際紛争 理論と歴史 第7版」p124」

ドイツにとってのエチオピア、オーストリアとチェコスロバキアがヒトラーの餌食になったのは、その2年後から。第二次世界大戦が起こったのは、さらに1年後のことでした。

普天間問題と政治主導のために足りなかったもの

 鳩山内閣は倒れ、菅内閣が発足しました。政治とカネの問題もありますが、普天間の移設、つまり安全保障の問題が大きな原因となって内閣が倒れてしいまいました。こんなことは滅多にありません。岸信介の安保改定以来の出来事ではないでしょうか。

 新内閣は大丈夫でしょうか? また普天間問題で潰れる、ということはさすがにないでしょう。けれど普天間でしくじったのと同種の原因によって、思わぬ失政をやらかす恐れは残るでしょう。なぜならば普天間問題を迷走させた制度的な背景はまだ残っているからです。

 官僚機構を除く、まともな知恵袋の欠如。安全保障に限らず、民主政権が『政治主導』を進める限り必要なそれが、しかしまだ出来上がっていないことは、今後も地味に政治の足を引っ張るのではないでしょうか。

「最低でも県外」とか言う前に検証すべきだった

 前内閣が支持を落としたのは、普天間飛行場をドコに移設するか、二転三転、挙句に沖縄県内に戻ってしまったことが大きいでしょう。これについてThe Economist紙の元編集長であるビル・エモット氏はこう述べています。

政権奪取のために実行困難な約束をすることは洋の東西を問わない政治家の常套手段だが、たとえそうだとしても、これは酷すぎる


そもそも政権の生き死にを左右するような重大な政策テーマについては、本来は公約を口にする前に慎重の上にも慎重を重ねて、その道のプロらと共に、実行の可能性を検証するものだ。


「最低でも県外」との口約束をして以来の二転三転の迷走ぶりを見ると、普天間基地問題については、その検証を行った気配が感じられない。当事者はやったというかもしれないが、それはプロの仕事ではなかったということだろう。

ビル・エモット 緊急インタビュー「鳩山首相の辞任は日本にとっても世界にとっても良いことだ」|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

 確かにエモット氏の仰るように、軍事、外交、沖縄に通じた専門家を集め、ひそかに事前検証すべきだったでしょう。もしマトモな事前検証をやっていれば「ゼロベースで検討」した結果と同様、かなり早期に「国外は無理、県外も至難」と分かったはずです。すれば、できる範囲内で騒音や環境負荷をどう減らすか考える、といった方向性もとりえたかもしれません。

 しかし実際、前首相のブレーンたちの事前検証は、そもそも行われなかったか、またはあまりにザツで「プロの仕事ではなかった」のでしょう。最初期から鳩山前首相のビジョンを下支えした数人のブレーン。普天間問題の再検討が行われ出してからヤレ大村だ、グアムだ、海兵隊は抑止力ではない云々と吹き込んだ人たち。彼らの見識は、専門家として求められる水準に足りませんでした。

お呼びでない大戦略

 それどころか普天間移設問題に、見当ハズレの問題意識を持ち込んでしまい、事態を混乱させました。最初期から前総理のビジョンのネタ元であった人たちは「日本はアメリカとより距離をとり、中国に接近すべき」という構想を持っています。それ自体の是非はここでは置くとしても、その関心を普天間問題に持ち込んだのは、結果的に大失敗でした。

 これを指摘したのが「極東ブログ」さんの以下の記事です。

自国防衛は自国で行うべきだというのはわからないではない。しかし、そのための礎石を普天間問題から着手したというのだ。普天間の本質は安全保障の米国依存を減らすためであったというのだ。呆れて物が言えない。  


普天間の本質は、危険な基地とともに生きる沖縄県民の安全や生活を守るためにある。いかにして普天間飛行場を撤去するかということだ。  


沖縄を日本国家の安全保障問題の道具にしないでいただきたい。結局は鳩山首相は国家の安全保障という国家の問題を沖縄問題にすり替えているという意味で沖縄への差別に荷担することになったのは理の当然ではないか。

鳩山由紀夫首相、辞任: 極東ブログ

 アメリカと距離をとって自主防衛を推進したいなら、それはそれで進めたらいいでしょう。ただしそれは数十年がかりで謀るべき大戦略です。それを普天間の移設先をどうするという直近の問題に当てはめるのは筋違い。もっとも、目先の問題にも軍事面の裏打ちを欠くようでは、同じ人たちの大戦略がマトモだとは考えにくいでしょう。

 ともあれ、そういったアテにならないブレーンに吹き込まれた首相の見通しで、重大な公約をしてしまったことが、最初のボタンの掛け違いだったように見えます。

政治主導には役所の外に専門集団が要る

 この問題に拍車をかけたのが「政治主導」の政治スタイルでしょう。官僚組織がつくった政策を丸呑みするのではなく、政治家が主導権をもって政策を作っていく。それはいいとしても、だからといって官僚組織がためこんでいる情報をムシするとしたら、それは大損です。

 例えば普天間移設先の再検討で、岡田外務大臣(当時)が最初に出されたのは「嘉手納統合案」でした。過去に日米間で検討され、現場の不都合からボツになったアイデアです。にも関わらず、何らの新材料もなしにこの案を提示したということは、その時点で外相は過去の細かい経緯を外務官僚から聞いてなかったか、聞いても信じていなかったのでしょう。そのために上手くいくはずもない案を掲げることになりました。

 外相はそれからまもなく国外・県外移設の困難さを理解されたようでしたが、このように官僚組織をうまく扱えていないと、政治を進めるのは難しいでしょう。かといって官僚組織の言いなりでも弊害が多い。よって役所の出した「プランA」を検証でき、かつ独自にマトモな「プランB」を作れる、役所以外の知恵袋が必要になります。

 下記の記事はこれをうまく指摘していると思います。

民主党政権に代わり、「脱・官僚」を掲げて、政治家が従来以上に官僚と「対立関係」になってしまうと、官僚の専門知識を利用することができなくなってしまう。外から見ていると、「テクニカリティ」の部分と切れてしまった素人の政治家を操ろうと、いろいろやっている人々が群がっているように見える。


……本来であれば、政治家が自分なりの判断を下すための、官僚でない、プロフェッショナルな「ブレーン」が必要なんだろうな、と思う。


……政権交代が数年ごとに起きるアメリカでは、政治家サイドの「テクニカリティ」を担うプロの一群が存在する。例えば、連邦通信委員会FCC)では、FCCプロパーの職員とは別に、「委員会」があって、運営は委員会の多数決で決められるが、この委員は5人いて、そのときの大統領と同じ党の委員が過半数の席を得ることができる。


こうした専門家は、政権が代わると辞めるので、出たり入ったりする「リボルビング・ドア(回転ドア)」などと揶揄されるが、日本ではそういう立場の人がいるのかいないのか、いても少なすぎる気がする。


……政治家自身に、個別事項についてそれだけの知識を求めることは無理なので、「回転ドア」のブレーンがそれを助ける必要があるだろう。


政権交代が適切な形で根付くためには、そうした仕組みもある程度必要なのではないか、と思う。そしてもちろん、その場合は、誰がどういう立場で誰にどういう影響を与えているのか、という点が公表されている必要がある。

政権交代と回転ドアの「ブレーン」 - Tech Mom from Silicon Valley

 大学、企業、シンクタンクらにそういった「政策知識人」がプールされていればこそ、政権交代、政治主導もうまく行くというものです。しかしその人材層が日本では少なすぎるのではないか、という議論です。

 防衛政策について言えば、防衛戦略を作るには、軍人と文民がコラボレーションする必要がある、と言われています。リチャード・ベッツは「戦略を練る際には政治に詳しい軍の士官だけではなく、軍事に詳しい民間人が必要になる」と述べています。軍も一種の官僚機構ですから、そこ任せにすると視野が狭くなったり、事なかれ主義に陥ったり、政治目的からの逸脱が起こったりしかねません。だから政治目的に沿った防衛戦略を作るには、軍民のコラボレーションが大事だ、というわけです。それには民間にも軍事のわかる専門家を一定数は養成し、大学やシンクタンクにプールしておくことが前提になります。

防衛分野に限らず、政策知識人が足りない?

 日本にはこの類の政策知識人が足りない、とは防衛分野以外でも聞かれます。例えば経済政策です。「世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで」などで注目を集めている経済学者の飯田泰之氏は、インタビューでこう述べています。

日本って、びっくりするぐらい人間(ひと)がいないんです。政策論といわゆる政策立案指導ができる学者はほとんどいない。


はっきり言って僕は研究業績にたいしたものはないんですよ。だけれども、もっと研究業績がある人はすごい理論的なことをやっているので、実際の政策立案指導って出来ない。だから僕ばっかりに仕事が回ってくる。


これは危機的で、はっきり言って、僕は海外、アメリカに行ったら専門家としての仕事があるかどうか怪しい。……アメリカだと学者のかなりの割合が政策立案系なので、質もものすごく高いんです。それに比べると日本には人材が全然いない。

談話室沢辺 ゲスト:飯田泰之 実践派エコノミストが提案するベーシック・インカム | ポット出版

 これが事実であれば、他の分野、例えば社会保障とか教育の政策立案でも、近い事情はあるのかもしれません。ただ他の分野の事情や、政策立案過程については私はよく知らないので何とも言い難いところではあります。ただし英米に比べて役所以外、大学やシンクタンクでの政策立案能力が低いことは恐らく確かでしょう。

 また、一党独裁の中国でも、政策提言ができる専門家を増やしているそうです。政権交代の有無にかかわらず、政策立案・提言ができる人材が多ければ、実行される政策の質は高まるのでメリットがある、ということでしょう。

欧州連合(EU)職員のマーク・レオナルドは著書『What does China think?』の中で、中国がグローバル戦略の構築力を身につけてきている背景には、シンクタンク力の強化があると指摘している。


例えば、北京にある中国社会科学院では約4000人の研究者が法律、経済、外交、対外貿易、哲学、歴史、文学など多面的な研究を行い、政府に対して政策提言を行っている。  


また、国家発展改革委員会の傘下にマクロ研究院が設置され、9つの研究所と研究センターが設けられている。さらに、国務院の直属のシンクタンクとして国務院発展研究センターがあり、直接、政策立案に携わっている。

日中で差が開くシンクタンク力 (2/3)

 日本にもそのような政府傘下の研究機関はいくつもありますし、民間でも小規模なシンクタンクは増えつつある気がします。また政党がシンクタンクを持とう、という動きも既に着手されています。しかしまだまだそれら自体も、それらを活用する文化も発展途上、という感じでしょうか。

 このような状況を見ますと、政治家が役所の外に、まともで組織だったブレーンを持ち、満足に政治主導をやれるのはまだ先になりそうな気が致します。こういった観点からすれば、菅首相が政務担当の秘書官に、気心の知れた現職官僚を登用する(読売6/7)というニュースは興味深く聞こえます。併せて、あまり層があつくないとはいえ、皆無ではない政策志向のまともな専門家を個人的に登用し、役所の政策を吟味させることも欠かせないでしょう。横で眺めているならともかく、ひとたびテーブルに着けば、まずは配られたカードで勝負するしかないのですから。

 ただし長期的な取り組みとしては、少しずつ政策知識人のプールを増やし、使う文化を育てていくことが肝要でしょう。

お勧め文献

Strategy in the Contemporary World: Introduction to Strategic Studies
戦略研究の教科書です。文中で引用したベッツの言葉はここから。
網羅的でまとまっていて、勉強になります。

普天間返還が決まる経緯について江田氏の回想

 みんなの党所属の衆議院議員である江田氏が、普天間基地の移設が決まるまでの経緯を書いていらっしゃいます。無論、今年の話ではなく、90年代に普天間返還が合意されたときの話です。江田氏は当時、橋本総理の首席秘書官として官邸にありました。時節柄、非常に興味深い内容ですので、ここに一部引用して紹介させていただきます。

普天間基地の返還。それは、当時の橋本首相がまさに心血を注いで成し遂げたものだ。元々、幼少期かわいがってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという原点もあり、何度も沖縄入りし、都合17回、数十時間にわたり、当時の大田沖縄知事と会談して、まとめあげたものだ。


 ……ただ、こう言っても、実際、この問題に取り組んだことのない人には理解してもらえないかもしれない。あの少女暴行事件に端を発する沖縄県民の怒りが頂点に達した95年〜96年にかけての世論調査でも、この問題についての全国民の関心度は一桁台だったのだ。


 しかし、そうした状況下でも、橋本首相は政権発足時から動いた。96年の総選挙でも沖縄問題を愚直に訴えた。良い機会だから、この、まさに官僚の反対を押し切って、政治主導、いや、首相主導(首脳外交)で実現した普天間基地の返還、それに携わった者として、当時の経緯、深層等を振り返ってみることにしたい。もう十年以上も前の話だから、時効ということで許してもらいたい記述も含まれる。

パンドラの箱を開けた(上)・・・普天間基地移設の迷走 - 今週の直言

橋本政権の発足から、普天間の返還合意まで

96年1月に発足した橋本政権は、前村山政権から困難な課題を二つ、引き継いでいた。一つは「住専問題」、そして、もう一つが、この「沖縄問題」だった。95年秋に起こった海兵隊員による少女暴行事件。それに端を発する沖縄県民の怒り、基地負担軽減、海兵隊の削減等を要求する声は頂点に達していた。  


こうした声を受けて、橋本首相は、政権発足早々から、一人、この沖縄問題を真剣に考えていたのである。元々橋本氏は、政治家として昔から沖縄との接点が多い方だったが、夜、公邸に帰ってからも関係書物や資料を読みふけったり、専門家の意見を聞き、思い悩んでいた。  


…知事の意向を確かめたところ、「普天間基地の返還を首脳会談での総理の口の端にのせてほしい。そうすれば県民感情は相当やわらぐ」とのことだった。…しかし、外務、防衛当局、殊に田中均北米局審議官をはじめ外務官僚は、いつもの「事なかれ主義」で、まったく取り合おうとはしなかった。…したがって、2月24日のサンタモニカでのクリントン大統領との首脳会談での事前の発言要領には、「普天間」という言葉はなかったのである。  


…ただ、橋本総理も、この外務当局の対応を踏まえ、ギリギリまで悩まれた。首脳会談の直前まで決断はしていなかったと思う。しかし、クリントン大統領と会談をしているうちに、米国側の沖縄に対する温かい発言もあって、総理はその場で「普天間基地の返還」を切り出したのである。  


絶対返すはずがないと言われていた普天間基地全面返還合意を、96年4月に実現できたのは、すぐれて、この総理のリーダーシップと沖縄に対する真摯な態度、それを背景として、事務方の反対を押し切って「フテンマ」という言葉を出したことだ。……96年4月12日、官邸での記者会見で「返還合意」を発表したあと、夜、公邸に戻り、思わず総理と抱き合い喜びあったことを今でも覚えている。その時は大田沖縄県知事も「総理の非常な決意で実現していただいだ。全面協力する」との声明を出したのである

パンドラの箱を開けた(中)・・フテンマを日米首脳会談で提起 - 今週の直言

 ここに至って、普天間基地の代わりとなる十分な代替施設を別の場所につくり、そこに部隊を移転させることが決まりました。代替施設である以上、普天間基地が果たしている機能が損なわれない移転先であることが必要です。

引越し先の選び方

 代替地探しは2009〜10年の移設先見直しでも大きな問題になりました。やれグアムだ、テニアンだ、関西国際空港だと色々な人が意見を出しました。そして最終的にでてきた政府案では辺野古+徳之島の分散案で、やはり沖縄とその近くでした。その政府案に対して、徳之島だとヘリ部隊と地上部隊の距離が遠すぎるから受け入れられない、とアメリカから見解が返ってきています。

 これについてこのブログではこう解説しました。

個人や企業の引越しでもそうですが、引越し先がえらく不都合なところで、仕事に差し支えたら困ります。取引先が都内にしかない企業が、なぜか島根に引っ越したりしますと、営業が訪問するのも一苦労で、何とも具合が悪いでしょう。軍事基地もおんなじです。

…移設先について、当のアメリカ軍からは「海兵隊の地上部隊とヘリの駐留場所は、65カイリ以内じゃないと困るよ」という話がでました。(4/22 朝日)これもお仕事の都合です。


 普天間基地の仕事を消防活動にたとえてみましょう。台湾で紛争の火の手があがったとき、すぐ駆けつけて消すため消防です。海兵隊の地上部隊は消防士、ヘリは消防車です。火災現場にすぐ駆けつけるには、消防士と消防車は近くにないと困ります。これが遠く離れてあると

「こちら普天間消防署。火事の通報があった。急いで消防車をよこしてくれ」

「こちら消防車。わかった。すぐ行く。明後日の昼まで待ってくれ」

 という漫才のようなことになって、そんなことを言ってるうちに消せるボヤも大火事となり、家ならば丸焼け、紛争ならば拡大し、斬首戦略なら完了してしまいかねません。

普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味(追記あり) - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ

 なぜ巡り巡ってまた沖縄になってしまったかといえば、引越し先には「普天間の機能が維持できること」という条件があるからです。普天間の部隊が果たしている機能の中のひとつ、「台湾有事に即応できる」ことを維持するには、沖縄近傍でなければ距離的に不可能です。なぜ徳之島だと不都合だと言われているかといえば、ヘリと地上部隊が分散していたのでは即応能力が低下するためです。

 普天間基地の機能を維持したまま移設する、という前提で考える限り、何度政権が変わろうが、何回再検討しようが、考えれば考えるほど沖縄に逆戻りしてしまうのはこういうわけです。

辺野古案の登場と一応の合意まで

普天間基地の返還は決まったものの…移設先が決まらなければ返還も不可能となる。  


 …もちろん、県外移設に越したことはないが、受け入れてくれる所もなかった。やはり「キャンプシュワブ案」しかないか。しかし、ここは珊瑚礁がきれいでジュゴンも生息する美しい海岸地帯だ。そこで、こうした生態系や騒音をはじめとした環境への負荷も比較的少なくてすみ、沖縄県民の負担もなるべく軽減、かつ日米安保からの要請も満たすという点をギリギリまで追求し発案したのが「海上施設案」だった。誰もが納得する100点はなく、そのベストミックスを考え抜いての、苦渋の決断だった。  


…総理もこれなら、粘り強く理解を求めれば沖縄の人たちもギリギリ受け入れてくれるのではないかと決断した。相変わらず、事務当局は否定的であったが、別ルートで探ったところ、米国からも良い感触が伝えられてきた。…


…97年12月24日、官邸に来た比嘉名護市長は、「大田知事がどうであろうと私はここで移設を容認する。総理が心より受け入れてくれた普天間の苦しみに応えたい(ここで総理が立礼して御礼)。その代わり私は腹を切る(責任をとって辞任する)。場所は官邸、介錯は家内、遺言状は北部ヤンバルの末広がりの発展だ。」市長の侍の言に、その場にいた総理も野中幹事長代理も泣いていた。  


思えば、ことは、国と沖縄県、日米安保体制の下での基地問題ということにとどまらず、本当に総理と知事、市長の、人間対人間の極みまでいった交渉であったといっていいだろう。いや、それを支えた梶山官房長官を含めて、当時の内閣の重鎮二人が心の底からうめき声をあげながら真剣に取り組んだ問題であった。理屈やイデオロギー、立場を超えて本当に人間としてのほとばしり、信頼関係に支えられたと一時信じることができた、そういう取り組みだったのである。  

パンドラの箱を開けた(下)・・移設先はキャンプシュワブ沖 - 今週の直言

 ここに至って、一応の合意がなされたのは辺野古沖の海上構造物案です。当初は名護市議会も市長も基地受け入れに反対でした。また受け入れの是非を問う住民投票でも反対派が多数を占めました。しかし経済振興策の提起などの交渉を経て、比嘉名護市長は受け入れと「その代わり私は腹を切る」の言葉通り、辞任しました。

しかし、このような全ての努力にもかかわらず、結論を延ばしに延ばしたあげく、最後に自らの政治的思惑で一方的にこの「極み」の関係を切ったのが大田知事だった。それまでは「県は、地元名護市の意向を尊重する」と言っていたにもかかわらず、名護市長が受け入れた途端に逃げた。当日、同じ時に上京していた知事は、こちらの説得にも名護市長とは会おうともせず、官邸に来て徒に先送りの御託を並べるだけだった。  


太田知事にも言い分はあろう。しかし、私は、当時の総理の、次の発言がすべてを物語っているように思える。「大田知事にとっては基地反対と叫んでいる方がよほど心地よかったのだろう。それが思わぬ普天間返還となって、こんどは自分に責任が降りかかってきた。それに堪えきれなかったのだろう。」

パンドラの箱を開けた(下)・・移設先はキャンプシュワブ沖 - 今週の直言

 その後も太田知事は辺野古移設に反対を通したので、彼の任期中は移設問題は進みませんでした。しかし後任の県知事である稲嶺氏が98年に当選すると、辺野古への移設を容認し、また名護市長も同意したため、移設先はやはり辺野古ということで話が進みはじめます。(ただこの時点の辺野古沖案は、2009年の政権交代前までに固まっていた辺野古案とはまた異なります)

 なおこの頃、新基地のかたちは「埋め立て」に落ち着きました。メガフロートや杭打ち方式で建設すると、防衛面などで問題があるし、それより何より地元沖縄の建設業者に出来ない仕事だからです。そのほか色々な面から考えて、基地建設の費用が地元に落ちる埋め立て案に落ち着きました。これがやっと2002年のことです。

 ともあれ、建築方式、滑走路の形や長さ、どの程度の沖合いにするかといった紆余曲折はあるのですが、場所については名護市辺野古を軸に検討されてきました。その叩き台を作った96年の交渉についての江田氏の回想へ、再び話を戻しましょう。

答えの無い問題に取り組むということ

確かに沖縄の問題は限りなく重い。60年以上苦しんできた沖縄県民が、普天間の移設先が県内では受け入れられないという気持ちもわかる。やはり「ヤマトンチュ(大和人)とウチナー(沖縄人)は通じ合えないのだ」とまで言われてしまえば、我々としては何をか言わんや、頭を抱えるしかないのだ。  


しかし、当時は、そんなことを超越して、本当に人間と人間との至高の営みとして、時の政権の首班と沖縄県の長が話し合った。十数回、何十時間にも及ぶ直接会談は、それを如実に物語る。  


…この総理の沖縄への思い、真摯な態度は、ヤマトンチュとウチナーの厚い壁をはじめて打ち破った。96年12月4日、総理が沖縄入りした時の、基地所在市町村会での雰囲気がそれをよく表している。場所はラグナホテル。当時の日記を紐解こう。    


冒頭、沖縄のことを最も考えてくれるのは橋本政権。
できるだけ長く続いてほしいとの期待の挨拶があった後、   


那覇市長 「総理は沖縄の心を十二分に理解してくれている。その情熱が心強い。」   


名護市長 「沖縄に『お互いに会えば兄弟』という言葉があるが実感。沖縄の痛みがわかる総理にはじめて会った。あとは感謝で言葉にならない」   


宜野湾市長「一国の総理が心を砕き、国政への信頼が倍加した。普天間の跡地開発をしっかりやりたい」   


金武町長 「希望が見えた。町民全体が燃えている」   


読谷町長 「日本の生きた政治を見る思い。村長をして22年になるが総理がはじめてボールを沖縄に投げた。やるしかない」等々。  


そして橋本総理が最後に挨拶に立った。
「私がひねくれていた頃、数ある従兄弟連中と片っ端から喧嘩をしていた。その中で岡山にいた源三郎兄い、彼は海軍の飛行練習生だったが、唯一私をかばってくれた。最後に会ったのは昭和19年の初夏…その年の10月、南西方面で還らぬ人となった。…彼が戦死した南西諸島というのが沖縄だということを知ったのは、戦死公報が届いた後のことだった。」


…地元新聞社社長の最後の言葉が忘れられない。「こういう雰囲気は40年のマスコミ生活を通じて空前の出来事だ。これまでは被支配者の苦悩の歴史だった。総理本当にありがとう。どうか健康には留意してください、それがここにいる皆の願いです」。


…鳩山政権における普天間問題の迷走をみて、今、私が何を言いたいか。これまで、くどくどと経緯を述べてきたのは自慢話をするためではない。


沖縄問題がこれまで解決できなかった理由は多々あるが、森政権以降、総理に「沖縄」の「お」の字も真剣に考えなかった人が続いたことが一番大きい。それに加えて、政治家や官僚にも、不幸なことに、足で生の情報を稼ぐ、県民の肉声に耳を傾ける、地を這ってでも説得、根回しをするという努力が足りなかった。

パンドラの箱を開けた(補論)・・ヤマトンチュとウチナー - 今週の直言

 ここまで長々と引用させて頂きましたが、これは当時橋本首相とともにこの問題に携わった江田氏の回想です。そのため立場を異とする人からみれば、何を勝手なことを、という風に見えるかもしれません。とはいえ、ここで書かれている「誰もが納得する100点はなく、そのベストミックスを考え抜いての、苦渋の決断」をとりまとめ、まがりなりにも普天間返還と移設の土台を作った労苦は、今こそ思い出されるべきことかもしれません。

普天間および在沖米軍について韓国紙の論評

とりあえずメモ。4月28日、東亜日報より。

日本本土の米軍と違って、沖縄駐屯の米軍は日本の防衛に限らず、アジア太平洋地域の防衛まで担当している。韓半島有事の際に、米軍の第1次発進基地になるのも沖縄だ。最先端航空機が配備された嘉手納空軍基地から見ると、ソウルは作戦半径1時間以内にある。「迅速機動隊」と呼ばれる1万8000人の米海兵隊は、6〜48時間の間にアジア太平洋地域のどこにでも戦闘投入が可能だ。米国本土から海兵隊が投入されるには21日がかかる。海兵隊は、韓半島有事の際に、北朝鮮の大量破壊兵器を除去する任務を担っている。沖縄駐屯の米軍が、韓国にとっても大変重要である理由もそこにある。


◆沖縄の中南部にある普天間基地は、沖縄駐屯の米海兵隊の航空ハブであるが、住居地域と商業地域に囲まれ、住民の反発が根強い。…もし、沖縄から米海兵隊が撤退すれば、米国の韓半島などアジア太平洋地域の防衛戦略に支障をきたすのみならず、日本にも甚大な影響を与えかねない。


北朝鮮の仕業と判明しつつある天安(チョナン)艦事件は、日本にももはや対岸の火事ではない。北朝鮮の核とミサイルだけが脅威ではなく、これからは日本の海の中にも気をつけなければならない。日本政府は、普天間基地を対北朝鮮安保体制による抑止力として見直さなければならない。

donga.com[Japanese donga]

普天間、善意による混迷

 鳩山総理が沖縄県を訪問されました。政府案(辺野古沖プラス徳之島)への理解と協力を求めるべく、知事、市長、市民らと会談されたそうです。テレビ、新聞らで既に数多くの報道がなされています(産経5/4読売)。

鳩山首相は「辺野古の海をきょう訪れ、改めてこの海を汚さない形での決着が必要だとの思いを強くした。しかし、北朝鮮を始めとする北東アジアの情勢にかんがみ、抑止力の観点から引き続き基地の負担を一部お願いせざるを得ない」と述べ、協力を要請した。

名護市長に首相「抑止力の観点から協力を」 : 基地移設 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

回りまわって、結局また沖縄

 鳩山総理のかねてからの持論は「常駐なき安保」、言い換えれば在日米軍の総撤収でした。さすがに総理就任後はそこまでは仰らぬものの、普天間基地の移設先については県外移設(日本国外、または沖縄県外)の考えを度々表明してこられました。そこで移転先として色々な名があがり、世論は翻弄されました。

 それに加え、さまざまな立場の人から怪しげな流言蜚語がおこったことも、混乱に拍車をかけました。曰く、普天間基地は日本や周辺有事のためのものではない、軍事的にみれば嘉手納統合で決まりだ、イヤ実はもう既にグアム移設で決まっている、総理の右往左往は沖縄の反対運動を盛り上げるための芝居である、云々と。誤解や売名目当てによって、そういった途方もないデマを流す人があったため、混迷はますます深まりまったように思います。(一例

 そして挙句の果てに落ち着いた政府案は、政権交替前の旧案を手直ししたもので、結局沖縄県内となりました。

なぜ結局は沖縄県内に戻ってしまったのか?

 とはいえ現政権は、できるだけ県外、国外に移設先をもとめる方向で進めたかったはずです。なぜそれを断念し、批判を浴びることが分かっていながら沖縄県内に戻ってきてしまったのでしょう。鳩山総理は沖縄において普天間海兵隊の「抑止力」を理由としています。

 抑止力とは、他国に戦争を思いとどまらせる力のことです。起こる可能性がある戦争に備えることで、ある国が「もし戦争を起こしても、その目的を達成できない」状況を作ります。沖縄の米軍は、沖縄を含む日本のみならず、朝鮮半島と台湾海峡の有事にも備え、さらには世界的な展開力の一部となることで、抑止力を形成しています。

 いま得られている抑止力を維持するには、普天間を移設した先で、現在と同等の基地機能が果たせる必要があります。すれば移転先はどうしても沖縄周辺になってしまいます。これについては「週刊オブイェクト」において詳しく述べられています。(参照「「なぜ普天間基地移設先は沖縄県内でなければならないのか」)また、このブログでも解説記事を書いたところ、とても大きな反響を頂きました。「普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味(追記あり)


 また元空自幹部の数多久遠さんによる解説でも、こう述べられています。

軍事的な観点で言えば、普天間飛行場には大きく2つの意味があります。 一つは、海兵隊戦力の投入拠点です。そしてもう一つは、嘉手納に所在する航空機が緊急時に利用する飛行場としての意味です。


海兵隊の投入拠点としては……近隣に使用可能な後方のインフラと港湾があることも重要です。 ……また、もちろん位置も重要で、回転翼機(ヘリ)が台湾に空中給油なしで到達できる場所でなければ空港を置く意味がありません。


この点で沖縄県外は論外です。

普天間の代替候補地条件: 数多久遠のブログ シミュレーション小説と防衛雑感


 このような実務上の都合があるので、当初は県外移設をしたいと考えていた鳩山政権でも、検討を重ねるとだんだんと沖縄に戻っていってしまいました。沖縄での記者会見で、鳩山総理はこう述べられています。

「あの、私は海兵隊というものの存在が、果たして直接的な抑止力にどこまでなっているのかということに関して、その当時、海兵隊の存在というもの、そのものを取り上げれば、必ずしも、抑止力として沖縄に、存在しなければならない理由にはならないと思っていました。


ただ、このことを学べば学ぶにつけて、やはりパッケージとして、すなわち海兵隊のみならず、沖縄に存在している米軍の存在全体の中での海兵隊の役割というものを考えたときに、それがすべて連携をしていると。その中での、抑止力というものが維持できるんだという思いに至ったところでございます。

朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

 
 最初は「別に沖縄でなくてもいいんじゃないか」と思っていたけれど、よく検討してみると、やはり沖縄でなくては駄目だと分かった、というのです。普天間の機能を維持する前提で考える限り、そうなるのは当然のことです。こういったことは、ブレーンにまともな人を選ぶか、官僚からこれまでどういう検討を重ねたのかを事前に聞いておけば、すぐに分かったはずですが、そうはいかなかったのでしょう。

参考
普天間および在沖米軍について韓国紙の論評 - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ]

ナポレオン三世近衛文麿、ほか多数

 このブログでは政権が交代する前、昨年の7月に、普仏戦争についての記事をひとつ書きました。フランスは向こう見ずにも、戦争になる可能性をあまり考えずにプロシアを挑発し、そして遂には勝てるかどうかもよく考えずに戦争に打って出た、とJ・P・テイラーは書いています。

 それが可能かどうかは、二の次の問題でした。それよりも、ここでプロシアを威嚇したほうが国民にウケる、政権の威信が高まる、といった都合の方が先決問題であったのです。これを踏まえ、私は次のように書きました。

私はここで…フランスの愚かさに興味を惹かれます。


このことからは、政権の国内的な都合で、無計画に外交をやると、どれほど悲惨な結果になるか、ということが表れているように思えます。普仏戦争後も、まったく国内的な都合だけを考えて外交を誤り、勝算のない戦争に突き進み、敗北する愚かな政権は世界中にあらわれました。


そのような愚かな政権に共通するのは、可能なことと不可能なことを区別しない、ということです。自国の力ではムリな外交成果を、あたかも当然の権利であるかのように国民に信じ込ませます。それで国民を喜ばせてしまい、後に引けなくなり、不可能事を実際にやろうとして無茶に走ります。このような政権には注意が必要です。


日本でも政権交代の可能性が高まっています。総選挙後の次期政権がどのようになるにせよ、名分にこだわって不可能事を押し通さない、現実的な政治をして欲しいものです。特に外交・防衛分野においてはそうです。


外交・防衛において実現不可能なことを国民が信じ、政府が後に引けなくなった時、どれほどの破滅がくるか。その点について、私たち日本人はフランス以上によく知っているのですから。



(第二次近衛内閣の成立 1940年)


 ナポレオン三世にせよ、近衛文麿にせよ、可能不可能を考慮せずに良さそうなことを言う政治家は怖いものです。できもしないことをやるといって国民の期待を集め、そして引くに引けなくなり、国民もろとも破滅に突き進む恐れがあるからです。

 果たして鳩山政権は普天間問題を混迷させてしまいました。もっとも今になって、無理なものは無理と正直に認めたことは、不幸中の幸いだったのかもしれません。

善意が招いた混迷

 もともと鳩山政権が「県外か国外」と言い出したのは、沖縄県民のことを思っての意図だったはずです。そもそも移設問題は、普天間基地が市街地にあってとても危険なので、これを解消せねばならない、という点から始まりました。それが辺野古沖となりました。これで普天間周辺の危険はなくなるにしても、移転先基地は沖縄県内に残ってしまいます。この案を敢えて再検討を試みたのは、たとえ面倒事を起こしてでも沖縄の負担を軽減したい、という善意の気持ちゆえだったのではないか、と私は思います。

 しかし結果的には、当の沖縄や徳之島の人々に対してかえって残酷なことになってしまったように見受けられます。先に「県外」という希望を持たせながら、後になって「やはり県内」と告げられては、怒りを抱くのが自然でしょう。

 まして今の政府案をもって地元とアメリカから合意がとれなければ、事態はさらに悪化します。ずるずると普天間基地の継続使用が決まる公算が高いためです。そうすれば「普天間はなくなるけど、沖縄に基地は残る」という旧政権下の予定と比べて、さらに一層の後退です。恐らくは善意によって試みたことが、かえって悪い結果を招き寄せつつあります。

 古代ローマの政治家ユリウス・カエサルは「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」 という言葉を遺しています。普天間移設の件は、まさに善意によって始まり、かえって悪い結果に陥ってしまった政治的失敗、その例の一つであるように、私には思われます。

 各政党にはこの教訓を忘れず、今後の治世の糧として欲しいものです。つまりは最良の幻想は捨て去り、より小さく悪い現実を求めていくということです。別して普天間問題については……さて、一体どうしたものでしょうか、本当に。さしあたり、どこかにウルトラCがあるなどとは考えず、まずは島の人々の声に向き合うことからでしょうか。それがどれほどの怒りや罵りの声であったとしても。

お勧めの記事と文献

普天間移設と沖縄の気持ちについてantonianさんのお話し - Togetter

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5 二重の疎外とは

台湾が長距離ミサイルで北京を狙う理由 〜台湾の防衛戦略

 台湾が中距離弾道ミサイルと巡航ミサイルの開発を再開する模様です。これに成功すれば中国の首都・北京をミサイルで狙えるようになります。

 いまの台湾の総統は馬英九という人ですが、彼は中国に友好的な姿勢をもっています。だから北京を狙える長距離ミサイルの開発は停止していたそうです。

 しかしここにきて、その態度が急に変わり、開発再開となったのは一体なぜなのでしょう? また、そもそも台湾はなぜ中国を狙えるミサイルをもとうとするのでしょうか。

普天間と中国のせいで態度が変わった

 報道によれば、馬政権が態度をかえつつある背景には、普天間問題のせいで日米同盟の先ゆきが不透明になっていることと、それにタイミングを合わせたように中国の軍事活動が活発化していることだ、といいます。

再着手は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡る日米関係のギクシャクぶりへの台湾側の懸念や、中国の海軍力増強で有事の際に米軍の協力が得られにくい状況への危機感と受け止められている。


…馬政権は当初、中国の首都・北京を射程圏とするミサイル開発で中国を刺激することは避けたい考えだった。また、開発停止の背景には沖縄海兵隊を含む在日米軍の「抑止力」があった。


…関係筋は「普天間問題に代表されるように、台湾に近い沖縄にある米軍の存在や役割が変化する事態もあり得る。米軍が台湾を守る力にも制限が加わる可能性が出てきたことから、抑止力を高める方向に再転換したのではないか」とみている。

毎日jp(毎日新聞)

総統府直属のシンクタンク、中央研究院の林正義・欧米研究所研究員は、「現政権は中国を怒らせたくない。日米との軍事協力についても公にしたがらない」という。  


だが、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる日米間の摩擦が浮上し、タイミングを合わせたように中国の軍事活動が活発化すると、馬総統は態度を変えた。昨年12月ごろから…「台湾は日米同盟を重視している。東アジアの安全と安定の要だ」と繰り返すようになった。  

毎日jp(毎日新聞)


 この報道で述べられているように、アジア・太平洋地域の要である日米同盟が揺らいでいることは、台湾にとって他人事ではありません。

普天間問題は台湾にとっても問題

先日このブログでも書いたように、沖縄の米軍基地は台湾有事への即応にも使用されます。下記の記事では、中国が少数の部隊による首都奇襲、いわゆる「斬首戦略」をとった場合に焦点をあてました。

普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味(追記あり) - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ

 ただ上の記事では斬首戦ばかり強調し過ぎ、他の形態で台湾紛争が起こったときの普天間の機能を書き忘れました(すいません、短時間で急いで書いているので)。

 ほかの形態で紛争がおこったときにも、海兵隊のヘリ部隊が即応可能な位置にいるのは意味のあることです。中国が海から台湾へ増援を妨害している間にも、一定の航空優勢があれば空から短時間で部隊と物資を台湾へ送れるからです。

 また、部隊のみならず基地自体にも意味があります。アメリカ軍の増援、補給の受け入れおよび中継の拠点として機能すると考えられます。これは嘉手納基地だけでは果たせない機能で、報道でもでています。

米海兵隊は有事の際、普天間飛行場に兵士を空輸する大型ヘリコプターなど三百機を追加配備する。現在、同基地のヘリは約五十機のため、実に七倍に増える。

これらを嘉手納基地一カ所にまとめると、基地は航空機やヘリであふれかえる。米側は「離着陸時、戦闘機の最低速度とヘリの最高速度はともに百二十ノット(約二百二十キロ)と同じなので同居すると運用に支障が出る。沖縄にはふたつの航空基地が必要だ」と説明したという。(09年11/19 東京新聞朝刊)

 こういう次第ですから、普天間もふくめ沖縄の米軍基地は台湾有事への即応に重要です。それが今回の移設問題でモメており、日米同盟の信頼性がゆらいでいることは、台湾の防衛に悪影響を与えます。

 また、今回の長距離ミサイル開発は「中国の海軍力増強で有事の際に米軍の協力が得られにくい状況への危機感」のためだと報道されています。これは中国が力をいれている「接近拒否」戦略のことです。これについては下記の記事ですでに解説してあります。

中国海軍の沖縄通過は何を意味するのか? - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ

 台湾にしてみれば、頼みの綱の日米同盟が普天間問題でぐらつくと、待ってましたとばかりに中国海軍がでてきて威嚇的に活動しだした、ということになります。馬政権が中国よりの態度を若干修正したとしても、不思議はないでしょう。

林研究員は「日本には早く普天間問題を解決してほしい。ただ、在沖縄米軍のプレゼンスが大きく減少するオプションを、台湾は希望しない」と語る。日台関係筋は「台湾から日米安保の後ろ盾がなくなったら、中国との交渉力は確実に低下する」と断言する。

毎日jp(毎日新聞)

台湾の防衛戦略  制空と離島防衛

 ところで台湾はそもそもどういう防衛構想をもっているのでしょうか? 台湾は第一の仮想敵を中国として、その侵略に備えています。そこには大陸に近い島国として、典型的な防衛戦略が存在します。

 もと自衛隊の松村氏(元陸将補)が台湾の軍事研究機関である「軍事科学研究院」を訪問されたとき、台湾軍の研究員はこう答えています。

台湾軍の軍備は、しっかりとした軍事力整備の理論の上に立って行われている。そこで海洋国家としての戦闘ドクトリンの最大の課題は何なのかを尋ねた。


「何といっても、制海・制空権の確保です。次いで金門・馬祖列島に対する増援の戦術的要領です。端的に言えば、小型の”ヒット・エンド・ラン”戦闘ドクトリンです」

(p191-192 「台湾海峡、波高し 素顔の台湾軍」松村劭


 戦闘ドクトリンとは軍全体として「このように戦う」という考えのことです。台湾軍(中華民国軍)としては、台湾海峡の航空戦と海上戦で優位に立つことで本土の安全を保ち、また離島には増援部隊を送りこめるようにして、寄せくる中国軍を撃破する、という考えです。

 あたかも第二次世界大戦のときのイギリスのような、航空戦が鍵を握る防衛戦です。ただし台湾はイギリスと異なり、本土のみならず大陸に近い離島をも守らねばなりません。

 これらの離島は中国から近い上に、豊かな漁場に囲まれているために「漁船の密集ぶりはレーダーでは国籍を識別することはほとんどできない。このことは、もし中国軍が武装漁船で金門・馬祖島を攻撃してきたら、海上で撃破することは不可能に近い、ということ(前掲書p91)」になります。

 従って離島に敵の上陸を許した後、守備隊が持ちこたえている間に増援を送りこんで、敵軍を撃破します。そのときは台湾の海兵隊に当たる海軍陸戦隊をはじめとする陸上戦力が海から投入されることになるでしょう。

 離島への増援派遣にも、台湾海峡上空の航空戦で台湾側が押していることは重要です。台湾が空軍にたいへん力をいれてきたのはこのためです。

もし中国が弾道ミサイルを撃ってきたら、上海を爆撃する


 台湾軍は領空外での活動や、敵地への反撃をも含めた防衛戦略をとっています。これは同じ島国でも日本の”専守防衛”とは大きく異なります。例えば台湾空軍について、松村氏はこう述べています。

彼らの主戦場は、台湾海峡であって台湾の上空ではない。敵機を台湾上空に侵入させるようでは、台湾を防衛することにはならないことを肝に銘じて知っている。専守防衛をうたい、領空内での戦闘しか考えない日本の自衛隊とは大違いである。(p99 松村)


 また、日本では「敵基地攻撃能力」を持つか持たないかの議論がたまにおこります。北朝鮮が弾道ミサイルを開発しているので、向こうが撃ってきたらその基地へ反撃する能力がいるのではないか、いやそれは憲法違反だ、という議論です。

 台湾においてはそんな議論はなく、反撃能力を昔から保有しています。中国は多数の弾道ミサイルを備え、これを「第二砲兵」と称して台湾を狙っています。

 もし弾道ミサイルで攻撃されたら、台湾はどうするのでしょうか? 松村氏が軍事科学研究院の研究員に尋ねると、こういう返事が返ってきたといいます。

「通常弾頭の戦略ミサイルによる攻撃はどうですか?」


中国が台北に戦略ミサイル攻撃をすれば、われわれは上海を火の海にしますよ。どちらが損か、中国はよく承知していると思いますがね。

……いずれにしても金門・馬祖島上空を覆う中国空軍機を追い払う必要があります。その有力な方法が上海空爆です。彼らは上海防空に躍起となるでしょう。その分だけ金門・馬祖列島へ襲い掛かる中国空軍機の戦力が少なくなります。


”攻撃は最大の防御”ということでしょうか」(p194 「台湾海峡波高し 素顔の台湾軍」松村劭


 このようなわけで、大陸へ爆撃をかけることには2つの意味があります。1つには報復措置を持つことで、弾道ミサイル攻撃を抑止することです。もう1つは中国の戦力を本土防空のために分散させ、台湾海峡への戦力集中を妨たげることです。

 従って中国の本土にたいする攻撃能力を持つことは、台湾にとって重要なことなのです。こういった備えを持つことで有事の際に負けないようにし、それによって「攻め込んでもうまくはいかないだろう」と中国に判断させることで有事そのものを未然に防ぐ(抑止する)効果を狙っています。

劣勢になった台湾空軍

 ところが、そのために肝心の台湾空軍は、もはや台湾海峡上空での航空優勢すら危うくなった、といわれています。中国空軍が急激に強大化したせいです。それでは大陸に爆撃をかけても成功するとは限らず、かえって台湾空軍の方が戦力を消耗して、海峡上空の戦いで不利になってしまうかもしれません。

 台湾軍が新しい長距離ミサイルを開発し、その射程を上海から北京まで延ばそうとすることは、この文脈から理解すべきでしょう。上海はもちろん、北京にまでも巡航ミサイルや弾道ミサイルを撃ち込めることになれば、中国はそれを警戒しないわけにはいきません。対空ミサイル、戦闘機といった戦力を各所に配備せねばなりません。また「弾道ミサイルを撃ち込んで脅したら、向こうも北京へ打ち返してくるかも」ということになれば、軍事力を用いるのに慎重になるでしょう。

 このような台湾の防衛事情があるところへ、普天間移設でモメて日米同盟が不安定化し、それを見計らったかのようなタイミングで中国海軍が存在感を誇示してみせました。その結果が、中国に配慮して停止していた長距離ミサイルの開発再開なのではないでしょうか。


引用文献

台湾海峡、波高し
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松村 劭
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普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味(追記あり)

 私はこのブログで普天間移設問題について語ることを避けてきました。なぜならこの問題は大きすぎて、私の手には負えないからです。といっても「普天間基地を移設しよう、移設先はどこが便利か」それだけで済めば、話はとても簡単なのです。しかし、それは軍事の論理です。

普天間は軍事だけの問題ではない

 沖縄県内移設、まして本島以外への移設となれば、この問題は軍事の論理だけで語れる範囲をはるか飛び越えてしまいます。普天間は普天間だけの問題ではないのです。これについては以下の記事が参考になります。

http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20100114/1263461115

■基地問題で問われているもの

安全保障上、外交上、経済上必要とされるもの、要請されるものは当然いくつも存在する。

しかし、この問題は以下の項目が肝要であるように感じられる。


・日本民族が(広義の)沖縄に対していかに向き合うかを再度自身に問うこと
・沖縄本島に着目するばかりでなく、先島・奄美などの歴史をどう捉えるかを真剣に考慮すること
・現実に発生している問題(基地偏重、米軍犯罪等とともに中国の領海・領空侵犯、海洋海軍化)を無視しないこと
・もっとも重要なのは、日本民族が関心を高め、理解に努め、その上で、なお必要とされる負担があるならば、それは頭を下げ、お願いし、理解してもらうこと

 私は不勉強で、先島・奄美はもとより沖縄本島の歴史や事情にも暗く、それらを踏まえてこの問題を語ることができません。ですからこの複雑・重層的な問題について、書くことを避けてきました。ですがこの程、あんとに庵さんから引用とトラックバックを頂きましたし、ここ数ヶ月ずっと話題になっていることですから、これを機に少しだけ書いてみようと思います。

なぜ普天間基地を移設するのか?

 普天間基地にはアメリカ軍海兵隊が駐屯しています。この部隊はむかし日本の本州にありました。日本が主権を回復したあと、当時はまだアメリカが施政権をもっていた沖縄に移動しました。

 基地ができたころ、普天間は畑ばかりの土地でした。しかし基地ができたことと、時代の流れによって基地周辺は発展し、市街地にかわりました。すると基地というのはなかなかに迷惑なものです。飛行場があるのだから、騒音があります。それに飛行中のヘリが誤って物を落としてしまったり、あるいは故障して墜落したりすると、下は市街地だからとても危険です。

 危なくてしょうがないので、もうこの基地をよそへ移そう、という話になりました。そこでここ十年くらい、引越し先を色々検討して、沖縄本島の「辺野古」というところに決まりました。日本政府、米軍、沖縄県、辺野古でどうにか合意がとれました。あとは細かい現地調査が終わったらいよいよ引越し準備をはじめようか、といったところで政権交代です。

 自公政権をひっくり返して出来上がった鳩山政権が、じゃあこの辺野古案もひっくり返してゼロベースで再検討するよ、と言い出したのが去年のこと。日本国外や沖縄県外へ移設して「沖縄の負担を軽減したいね」といいながら再検討がはじまります。この案はどうかな、あそこがいいんじゃない、と色々みてみたところ、やっぱり沖縄周辺しか無いよね、という元の木阿弥な話に落ち着きつつある今日この頃です。

引越し先の選びかた

 個人や企業の引越しでもそうですが、引越し先がえらく不都合なところで、仕事に差し支えたら困ります。取引先が都内にしかない企業が、なぜか島根に引っ越したりしますと、営業が訪問するのも一苦労で、何とも具合が悪いでしょう。軍事基地もおんなじです。

 普天間基地の引越し先を考えるのに必要なのは、普天間基地が何の仕事をしているのか、引越し先でもその仕事は果たせるか、です。じゃあ普天間は何の仕事してるのよ? という話は「週刊オブイェクト」で詳しくとりあげられています。要すれば、台湾紛争に火がついたときに素早く飛んで駆けつけて、事態の火消しをやることです。そして「もしもの時はすぐ駆けつけます」という事実によって紛争の発生を未然に防ぐ(抑止する)ことです。

普天間基地の機能

 もっとも台湾有事だけではなくて、ほかにもお仕事はあります。普天間を含む在沖縄米軍という大枠でみれば、ユーラシア大陸包囲の一翼として機能しているともいえるでしょう。北東アジアに限ってみても、沖縄のアメリカ軍は台湾と朝鮮の両にらみです。だから台湾だけではなく、韓国の安全にもかかわってきます。韓国紙の中央日報はこう報じています。

沖縄米軍基地、すなわち普天間海兵航空基地をめぐる日米の葛藤は他人事ではない。 韓半島の安保を脅かす新しい要因に浮上する可能性がある。 普天間の4大任務の一つは国連司令部の後方基地の役割だ。 韓国戦争当時、米国のB−29爆撃機はここから発進した。
【社説】韓国安保の暗雲、不安な日米同盟 | Joongang Ilbo | 中央日報

 とはいえ、目先、普天間基地に話を限り、かつ今いちばん大事なのは台湾有事の際、まっさきに飛んでいけることです。じゃあまっさきに飛んでいくためには何が大事か? それは距離です。なのでヘリで台湾までいける距離じゃないと仕事にならないよ、と書いたのがオブイェクトさんの記事です。

・参考 なぜ普天間基地移設先は沖縄県内でなければならないのか : 週刊オブイェクト

 移設先について、当のアメリカ軍からは「海兵隊の地上部隊とヘリの駐留場所は、65カイリ以内じゃないと困るよ」という話がでました。(4/22朝日)これもお仕事の都合です。普天間基地の仕事を消防活動にたとえてみましょう。台湾で紛争の火の手があがったとき、すぐ駆けつけて消すため消防です。海兵隊の地上部隊は消防士、ヘリは消防車です。火災現場にすぐ駆けつけるには、消防士と消防車は近くにないと困ります。これが遠く離れてあると

「こちら普天間消防署。火事の通報があった。急いで消防車をよこしてくれ」
「こちら消防車。わかった。すぐ行く。明後日の昼まで待ってくれ」

 という漫才のようなことになって、そんなことを言ってるうちに消せるボヤも大火事となり、家ならば丸焼け、紛争ならば拡大し、斬首戦略なら完了してしまいかねません。

じゃあ台湾に移設するのはどうなの?

 こういう話をしますと「じゃあ最初からその米軍基地、台湾に置いておけば話が早いんじゃないの」と思われるかもしれません。しかしそうはいかない事情があります。それをやろうとすると、戦争になるからです。

 中華人民共和国、略して中国は台湾を自国の一部だと考えています。この考えを「一つの中国」といいます。でも台湾政府は実質的には独立しています。それなのに中国がそれを認めないのは、台湾政府の正式名称が「中華民国」といい、こっちも中国だからなのですが、これを説明すると長くなるので省略します。ともかく、中国は「台湾は中国領の一部だ」と固く信じてる、国民にもそう信じさせている、ってことが重要です。

 アメリカにとって台湾は昔から事実上の同盟国です。しかしアメリカは台湾を国として認めてはいません。昔は認めてたのですが、中国が「私か台湾か、どっちかハッキリ選んでくれないと、あなたと付き合うなんてヤだ」と言うからです。だから建前上は中国の主張を理解しつつ、実際には台湾との付き合いをもってるし、台湾が中国に攻められれば救援する用意があります。建前と本音でズレがある、というのがポイントです。

 もしアメリカが台湾に海兵隊の地上部隊の基地を作るとしたら、それはこの建前をかなぐり捨てるということです。これは中国の目にはどう映るでしょうか?

 完全な侵略です。自らの正当な領土に他国が軍隊を送り込んでくるのです。まして死ぬほど大事に思っている台湾へ。自らの正当な領土(と信じている)台湾を、(主観的には)守るために、侵略者と戦わねばなりません。

 実のところ現在でも台湾にアメリカ軍の要員は存在するらしいのですが、これはあくまでも情報部隊です。しかし実戦部隊を送り、基地をおくとなると、これは中国にとって絶対に許せないでしょう。台湾を併合できる可能性がほぼ永久に消滅するからです。

 また、中国内部の事情もそれを許しません。中国は「一つの中国」というアイデアに命を賭けており、常々そうアピールし、国民に信じさせてきました。これをアメリカに堂々と踏みにじられて、黙ってみていたら、中国政府は恐らく潰れます。主席や首相の権威はたちまち消滅して、別の人に取って代わられるか、あるいは軍がクーデターを起こすかです。

 そこで中国政府としては究極の選択を強いられます。もしアメリカ軍が到着する前に台湾全土を占領できれば、アメリカは諦めるかもしれない…そこに賭けて、イチかバチか戦争に打って出るか、さもなくば座して崩壊するかです。

 ちょっとキューバ危機に似ているかもしれません。あのきっかけはアメリカのすぐそばのキューバに、ソ連が核ミサイルを配備しようとしたことです。アメリカにとって絶対に容認できないことだったので、戦争をも覚悟したギリギリの交渉がなされました。結局はソ連がキューバへの配備を取りやめることになったから良かったのですが、一歩間違えれば核戦争でした。

 台湾にアメリカ軍が実戦部隊の基地をつくるというのは、中国にとってそれくらいの重大事です。絶対に容認できないことなので、戦争をしてでも止めようとするでしょう。こういう事情ですから、普天間基地を台湾に移設する、なんていうのはありえない選択です。

もしも沖縄以外に移動したら?

 
 こういう事情ですから、普天間の移設先はどう考えても沖縄県内になります。自民党時代に10年くらい検討して沖縄本島の辺野古に落ち着きました。鳩山政権が去年から半年くらい再検討しても、やっぱり沖縄またはそのごく近くに落ち着きつつあります。

 でも、本当に沖縄以外はぜったいダメなのでしょうか? id:antonianさんはこう仰っています。

★基地は沖縄にないとダメなんだ!!!
軍事に疎いんでよく判りませんが、ほんとなんでしょうか?・・と、そういう議論があまり為されてないよな。
普天間移設に関して絶賛妄想中 徳之島問題で出て来る批判、まとめ。(追記あり) - あんとに庵◆備忘録

 私も作戦には疎いので確たることは申し上げられないのですけれども、お答えを試みてみます。もし普天間基地が果たしている機能を残そうとするならば、沖縄以外はあり得ないでしょう。しかし、代償を払うのならば話は別です。「今の普天間が果たしている機能を捨ててもいい」というのであれば、沖縄以外でもいいでしょう。

 すれば台湾有事への備えはどうなるでしょうか? 次善なのは、平時は沖縄にはいないけれど、台湾海峡で緊張が高まったときに沖縄に前進する、という形ではないでしょうか。つまり普天間の部隊は大部分が移転するけれど、基地はそのまま維持しておいて、必要なときだけ部隊を戻す、という形です。あるいは普天間以外の基地でもいいですが、とにかく情勢不穏となった時にだけ沖縄へ移動する形です。

 ただこれには問題があります。情勢が緊張した時には、部隊を沖縄に移動させるという行為、それ自体がさらに緊張度を高めてしまいます。だから下手をすれば「まずい、沖縄に部隊が帰ってきたら手が出しにくくなる。じゃあその前にイチかバチか」と中国に決意させてしまうかもしれません。そういう可能性があるため、緊張度が上がってから部隊を戻すというのは難しい決断になります。それに加え、緊張度の上昇をアメリカが認識する前に奇襲がおこなわれたとき、沖縄以遠からではタイムラグがあって間に合わない恐れがあります。

軍事の論理と、政治の仕事

 と、こんな風に書くと、普天間の機能をなくしたら絶対いけない、沖縄以外はありえないと言っているように思えるかもしれません。しかし、軍事的にはそうでも、普天間の移設問題は、軍事的な都合だけを見て決められる話ではありません。軍事の論理は重要ではありますが、政治とは常に軍事の都合だけで決めていいものでもありません。

 例えば日本政府が「沖縄の負担軽減」を絶対にやるんだと、普天間の機能はどこにも移さず、無くなっていいんだ決意したとします。そして「そういうわけだから撤収よろしく」とアメリカに断固として言えば、日本は主権国家だし普天間は日本の領土なんだから、アメリカとしても最後は聞くしかありません。

 軍事は政治の道具なのです。時には軍事の論理より、他のものを優先させる政治決断があっても、それはそれで当然のことです。ただしその結果は、道具の主人たる政治に、ひいては政治に最終的な責任を負っている国民に帰っていきます。生じる軍事的な結果を覚悟のうえなら、普天間基地の機能どころか、たとえ在沖縄米軍の全部隊であったとしても、無くしてしまって構わないでしょう。

 実際、普天間基地ひとつを撤収すれば台湾が今すぐ中国に併合されるということもまずないでしょう。単に抑止力が低下し、日米関係が悪化し、日本の南西諸島の防衛や尖閣諸島の領有権が少しく危うくなること。中台へ誤った外交メッセージが送られ、将来において海峡で緊張度が高まったときの戦争の歯止めがあらかじめ一つ減り、そして中台で紛争が起これば米軍基地があろうが無かろうが日本は必ず害をこうむるということ。せいぜい、それくらいのものです。そういったものを引き受けるならば、普天間基地の移設先はべつに沖縄でなくてもいいでしょう。

 例えばフィリピンは、米軍基地をなくし、米軍を撤収させました。議会で議決して、94年に米軍のスービック海軍基地を返還させたのです。それはそれでフィリピン国民の決断です。たとえ軍事的にどれほど不合理であっても、フィリピン軍やアメリカがどうこう言う問題ではありません。たとえそのために、米軍撤退の直後から活動を活発化させた中国によって、フィリピンが領有権を主張していたスプラトリー諸島のミスチーフ礁らが占領され、実効支配を敷かれ奪われてしまったといっても、それは一つの結果です。誰のせいにもできません。

 逆に普天間基地の機能を残すなら、県内のいずれかに移設先を求めることになるでしょう。それは軍事の論理をほかよりも優先するということで、従ってほかの論理、視点にしわ寄せがいきます。それで迷惑を被る人たちに対しては、札束で顔をひっぱたくのではなくて、あらかじめ閣僚なり何なりが現地で膝をつめて話をするなりして、納得はできないとしても堪忍してもいいと思って頂けるまで、礼を尽くしてお願いするしかないでしょう。それもまた政治の仕事です。

軍事問題を政治的に論じるときの3つの誤り

 軍事問題を考え、議論するときに犯しがちな誤りは3つあります。

 第一の誤りは軍事の論理だけで議論して他の観点を無視することです。軍事的に正しいことが、他の論理でも正しいとは限りません。また、軍事の論理が必ずしも常に優先されていいわけではないのです。

 第二の誤りは他の観点だけで考え、軍事の論理をあたかも無いもののように扱うことです。たとえその時は無視したとしても、決断から生じる軍事的な結果は、あとで必ず受け取らなければなりません。

 第三の誤りは、軍事以外の論理ででてきた結論を正当化するために、軍事の論理を都合よく曲解して「これは軍事的にも合理的なんだ」と自分や他人をダマすことです。

 以上の誤りを排するには、軍事をふくめ色々な論理を比較考慮し、生じるかもしれない結果、特にそのデメリットを理解し覚悟した上で、どうするのか決めること。それによって生じた責任はとれるだけとること。それが軍事問題を政治的に決断するということであり、「軍事は政治の道具だ」という言葉の意味なのではないでしょうか。

追記

この問題に関連し、あんとに庵さんのつぶやきをまとめさせていただきました。
たいへん重要な声だと思います。
普天間移設と沖縄の気持ちについてantonianさんのお話し - Togetter

あわせてブログのエントリーの方でも、この問題について幅広くまとめてくださってますので、強くお勧めいたします。
普天間移設に関して絶賛妄想中 徳之島問題で出て来る批判、まとめ。(追記あり) - あんとに庵◆備忘録

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