リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

戦争はなぜ起こるか3 普仏戦争の場合

戦争はなぜ起こるか―目で見る歴史」はテイラーという有名な史家が書いた著作です。原題は「HOW WARS BEGIN」。中身はタイトルの通り、戦争がいかに開始されるかを書いています。フランス革命戦争から冷戦までの主だった戦争を取り上げています。

前回はこの本から「フランス革命戦争」と「クリミア戦争」の項を取り上げました。この本は読み物としても面白く、多くの示唆を与えてくれます。戦争の原因は百万通りもあるとしても、その中で「錯誤」と「不合理」が含まれないものは一つもないようです。もし例外があるとすれば、今回とりあげるビスマルクくらいのものでしょう。

「普仏戦争」の頁では、二国の対称的な態度が興味をひきます。プロシアが冷静かつ打算的に戦争を望み、開戦に持ち込みました。他方のフランスは、戦争を回避する機会がありながら、プライドのためにそれを逃し、無計画に開戦しました。

この普仏両国の差から、学べることがあるように思います。

『鉄血宰相』ビスマルクは好戦家ではなかった。


この時期のプロシアの宰相はビスマルク(上記写真)です。彼は『鉄血宰相』として有名です。その由来は、彼の有名な演説にあります。

「現在の大問題は、演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される

この言葉から彼は鉄血宰相と、その政策は鉄血政策と呼ばれました。ビスマルクはこの演説の通りに軍備の増強を進め、それを用いて度重なる戦争によって大問題の解決(ドイツの統一)を成し遂げます。

「鉄血宰相」などというといかにも好戦的な政治家のように聞こえます。それに彼は事実、多くの戦争を主導しています。

ですがビスマルクはむやみに戦争を求める好戦家や、軍事力を盲信する単純なタカ派政治家ではありませんでした。

ビスマルクは決してギャンブラーではなく、武力行使の危険性について常に徹底した自覚をもっていた。ゆえに、他のあらゆる手段が無くなり、しかも軍事、経済、倫理ら全ての面で有利を得られるまで、戦争に訴えることはしなかったのである。

Norman Rich 「Great Power Diplomacy: 1814-1914」p190

つまりビスマルクは単純に好戦家であったのではなく、冷静な現実主義者*1でした。それゆえに誰より巧みに戦争を断行し、目的を達成するや直ちに(彼にとって好都合な)平和を回復しました。

ゲームに感情はいらない

ビスマルクの至上命題は「ドイツ統一」でした。彼は巧みな外交によって優位を作り、まずデンマークとの戦争に勝利し、次にオーストリアにも勝利しました。


(ケーニヒスグレーツの戦い (1869年)プロイセンがオーストリアに勝利)

それらの戦争はプロイセン主導によるドイツ統一のために必要だとビスマルクは考えていました。それゆえに戦争を計画し、遂行し、目的を達成するや、さっさと戦争を終えました。

彼の戦争はすべて明快で限定された目的を持っていた。ゆえに戦争の利益がリスクに釣り合わなくなれば、彼はヨーロッパ第一の平和の守護者となったのだ。
Norman Rich 「Great Power Diplomacy: 1814-1914」p190

ビスマルクは戦争が必要だったから、やったまでです。そこには「必要性」や「費用対効果」という概念はあっても、「怒り」や「恨み」といった感情、さらには「どっちが悪い」というような不毛な概念はなかったようです。

王が「戦争をしかけてきたのはオーストリアであるからして、オーストリアは罰せられてしかるべきだ」と述べた時、ビスマルクは

「オーストリアが我われに敵対するよう仕向けたのは正しいことであり、また彼らが我われの要求に反対したのも当然のことであります」と答えている。

侵略戦争や戦争犯罪の告発について言われるべきことがすべて、この答えの中に言いつくされていると思う。
p96 テイラー 「戦争はなぜ起こるか」 新評論

彼は自国も敵国も、どちらも同じように欲望をもって自分の都合のために行動する主体として見ていたようです。プロイセンが自らの正当な利益のために行動しているのと同様、他国にも正当と信じる利益があり、そのために行動しています。そして互いに自分の都合を相手に押し付けあう、そのゲームが外交です。

そのように考えたならば、良きプレーヤーであろうと努めこそすれ、怒りや恨み、あるいは正義や道徳からはずいぶん縁遠くしていられる、ということでしょう。

ビスマルクはそのようにして状況を操作し、ドイツ統一の障害を次々に撃破していきました。最後に残ったのがフランスです。

スペイン王位継承問題

普仏戦争のきっかけはスペイン王位の継承問題でした。元からいたスペイン女王が革命で退位させられました。しかし共和制では国がまとまらなかったので「スペインの玉座がヨーロッパ中に売りに出されることになった*2」のです。

ビスマルクはプロイセン王家の親戚の一人レオポルド(上記写真)を、スペイン王位につけようとしました。
しかしスペインが親プロイセンになれば、フランスは東西を挟まれるかっこうです。よってフランスがこの動きに強く反発しました。それが普仏戦争の開戦につながります。

これはフランスを挑発し、戦争を誘うビスマルクの陰謀だった、という説もあるそうです。ですがテイラーはそれに組してはいません。

私はこうした見解には組しない。…彼の考えというのはどちらかといえば、「そうしておけばフランスも少しは威嚇行動を控えるだろう」といった程度のものに過ぎなかったと思う。
p102 「戦争はなぜ起こるか」

結果的に、レオポルドによるスペイン王位継承は頓挫しました。フランスの反発が通り、プロイセンが要求をひっこめたからです。フランスにとって都合が良い結果に終わったようにみえます。

にも関わらずフランスは自ら戦争に突き進み、これはチャンスとビスマルクを喜ばせる結果に終わります。

プライドの問題として、プロイセンを侮辱せねばならない


当時のフランスはナポレオン三世(上記写真)の治世でした。有名なナポレオン一世の甥です。

彼は一世と異なり、偉大な才能を持ちませんでした。だから、英雄にはなれませんでした。その代わり、彼には偉大すぎる伯父がいました。だから、何としても英雄になる必要がありました。彼の名前が、彼に成功を脅迫したのです。

スペインにプロシア系の王を、という企てはフランスの威信をいたく傷つけました。そこでナポレオン三世とその支持者や取り巻きたちは、威信回復に腐心しました。

どんな方法があるかって? そりゃ、プロイセンに一発かましてやることだ。躊躇したり、「これは我われを戦争にひきずりこもうとするビスマルクの陰謀だ」などと言うどころか、彼らは、それが罠であろうとおかまいなく、戦争へと一直線に飛び込んでいった。
p104 前掲書

つまりフランスにとっての問題は、プロイセンを侮辱してやって自国の威信を示すことに移っていました。そこでフランスは宥和的なプロイセン王ヴィルヘルムを侮辱し、謝罪を引き出すことに夢中になりました。

レオポルドがスペインに行くという考えが最初からずっと気に入らなかったヴィルヘルム一世は、すぐに彼をやめさせることを承諾した。

…これはフランスの大臣たちにとっては都合が悪かった。プロイセンを侮辱したことにならなかったからだ。…フランス外務大臣はそこでもう一通、信書を送り、ヴィルヘルムに謝罪せよと迫った。

…そして、謝罪するだけではなくレオポルドが二度と立候補しないことを約束し、さらに、こうしたことが決して再び起こらぬことを保証せよと、迫ったのだ。
p105 前掲書

フランスは王位継承問題で既に妥協を引き出し、実利を確保しています。にも関わらず、自国の…というより、時の政権の威信のため、実より名を求める近視眼的な外交を行いました。

勝算もなく戦争を始めたフランス、チャンスを逃さなかったビスマルク

ビスマルク(右)と普仏戦争で捕虜になったナポレオン三世(左)

フランスの無礼な謝罪要求に対し、プロイセン王はなお穏やかな返信を返します。ですがビスマルクはこのチャンスを逃しませんでした。王の電報を改竄し、フランスに対して高圧的な言葉と偽りました。(エムス電報事件)

そうすればフランスは必ずや戦争に打って出るでしょう。プロイセンはやむを得ずの反撃という形でフランスを討てます。ドイツ統一への最後の障害を排除することができるのです。フランスはビスマルクの読みどおりに反応しました。

フランスの報道は大騒ぎになった。パリの街頭には「いざ、ベルリンへ」という叫びが鳴り渡り、ナポレオン三世は参戦を準備した。

この話でひとつおかしなことは、フランス人もナポレオン三世も参戦の可能性についてまったく考えていなかったことである。その日のかなり遅くなって、まさに戦争に突入せんとしていた時に、兵士たちがそのことをよくよく考えてみて「我われは勝てるのだろうか? この戦争には意味があるのだろうか?」などと言っていたようだ。
p111 前掲書

他方、プロイセンの戦争準備については言うまでもありません。なにせビスマルクは「他のあらゆる手段が無くなり、しかも軍事、経済、倫理ら全ての面で有利を得られるまで、戦争に訴えることはしなかった」男なのです。その仕上げとして、フランスが自分から戦争を仕掛け、開戦責任を引き受けてくれました。

こうして、自らでっちあげた口実で大戦争を開始し、フランスは敗北につぐ敗北を喫し、ついにはそのことでビスマルクを非難するようになるのである。
p111

政権の都合で外交をするな

政権の国内的な威信のため、無計画に戦争に突き進んだフランス。準備を整えた上で、限定した目的のために計画的に行動したビスマルク。この対称は鮮やかです。私はここで、ビスマルクの賢さよりも、むしろフランスの愚かさに興味を惹かれます。

このことからは、政権の国内的な都合で、無計画に外交をやると、どれほど悲惨な結果になるか、ということが表れているように思えます。普仏戦争後も、まったく国内的な都合だけを考えて外交を誤り、勝算のない戦争に突き進み、敗北する愚かな政権は世界中にあらわれました。

そのような愚かな政権に共通するのは、可能なことと不可能なことを区別しない、ということです。自国の力ではムリな外交成果を、あたかも当然の権利であるかのように国民に信じ込ませます。それで国民を喜ばせてしまい、後に引けなくなり、不可能事を実際にやろうとして無茶に走ります。このような政権には注意が必要です。

日本でも政権交替の可能性が高まっています。総選挙後の次期政権がどのようになるにせよ、名分にこだわって不可能事を押し通さない、現実的な政治をして欲しいものです。特に外交・防衛分野においてはそうです。

外交・防衛において実現不可能なことを国民が信じ、政府が後に引けなくなった時、どれほどの破滅がくるか。その点について、私たち日本人はフランス以上によく知っているのですから。


(第二次近衛内閣の成立 1940年)

*1:この現実主義は一般的な意味です。国際政治理論の現実主義と同じものではありません

*2:p100 戦争はなぜ起こるか