リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

「核兵器さえ持てば他の兵器はいらないんじゃないの?」という疑問への回答

先のエントリのコメント欄でM.I.A氏から面白いご指摘がありました。

M.I.A 2009/10/21 03:17
実際最強なのは
「核ミサイル大量に使えば戦車も兵隊もいらないね」
ってことになりそうだな
(無論、倫理上では許されないことだが「勝てば官軍、手段もへったくれもない」と言われればそれまでの気がする)

今日はこれをテーマにします。私も昔、原子力潜水艦と核ミサイルがあれば最強であってそれだけでいいんでないの、と似たようなことを考えたことがあるからです。

アメリカ、ロシア、フランス、中国、イスラエルらいくつかの国は核兵器を保有しています。核兵器さえあれば敵国に壊滅的な打撃を与えることができます。破壊力とその規模において、核兵器は最強の兵器です。

そんな強力な核兵器をもっているのに、核保有国は核以外の戦力も多数保有しています。歩兵、戦車、野砲らからなる陸軍。戦闘機やレーダーをもつ空軍。駆逐艦や潜水艦を運用する海軍。これらのことを核戦力に対して”通常戦力”と呼びます。

なぜ核戦力をもっていても、なおそれよりずっと弱い通常戦力が必要なのでしょうか? これはわりと簡単な話で、核ミサイルだけでは全面核戦争にしか対処できず、国益や国民の命を守ることができないからです。

核兵器はどれだけ強いか

核兵器は広島と長崎において実戦使用されました。その際の惨禍は日本人の多くが知るところです。ですがこれは60年前の話です。現在の核兵器がもつ核出力は、当時とは比較にならないレベルに達しています。

核出力とは、要するに、核兵器の破壊力を示す数字です。核爆発の威力をふつうの爆薬におきかえて、TNT爆薬*1で何トン分に相当するか、という計算です。自動車などのエンジン出力を馬におきかえて、○○馬力、と表現するのに似ていますね。

1945年に使われた広島型原爆の核出力は約15キロトン*2だったと推定されています。それに比べ、2009年現在で実戦配備されてる核弾頭は、例えば最新*3のW88ならば最大475キロトンです。この弾頭が一発のミサイルに最大8基搭載され*4、そのミサイルを発潜水艦1隻につき24発搭載しています。

恐ろしいを通り越して、唖然とするほどの威力です。

核兵器さえあれば他の兵器はいらないのではないか?

これを考えれば、「核ミサイルさえあれば戦車も兵隊もいらない」と思うのも自然なことです。ですが実際に核以外の兵器体系を全て捨ててしまったら、どうなるでしょう。

例えばある国、仮想A国が前述のW88クラスの核兵器を保有したとします。数はアメリカやロシア並とします*5。それを弾道ミサイルに積み、地中深くに防護されたミサイルサイロや、戦略原子力潜水艦に搭載します。あわせて、それ以外すべての軍隊を解散します。そして諸外国に向けてこう宣言します。「わが国は核ミサイルを保有している。以降、わが国に対して少しでも侵略を試みる国があった場合、即座に核ミサイルを撃ち込む」…と。核ミサイルの抑止効果に国の防衛を全てを委ねてしまうわけです。

果たしてこのA国の宣言に実効性はあるでしょうか。核兵器の抑止力はA国を守ってくれるのでしょうか? 答えはイエスでもあり、ノーでもあります。核抑止力はある場合には機能し、ある場合にはまるで役に立ちません。具体的に見てみましょう。

全面戦争はだいたい抑止できる

まず第一に、他国から核ミサイルを撃ちこまれたり、あるいは核を撃つぞという威嚇を受ける恐れはほとんどなくなるでしょう。核兵器を使用しない全面戦争の場合も、恐らく同様です。作戦がまったく電撃的になされでもしない限り、核兵器によって抑止することができるでしょう。A国は滅亡するくらいなら核ミサイルを発射する可能性は否定しがたいからです。

A国を核や通常戦力で攻撃し、Aの国土が壊滅したとしても、海中や地下に核ミサイルが残っています。これによる報復を受け、攻撃した側も共倒れになります。*6

この可能性を否定できない限り、他国がA国への全面戦を躊躇することになるでしょう。(ただしA国自身がトチ狂って、他国への先制核攻撃をチラつかせたりしたり、核攻撃を受ける危険を看過してでも見過ごせない致命的対立があったりした場合は別ですけれど)十分な核戦力を持つ国から主権を奪うことは誰にもできないのです。

なおイスラエルが核武装に踏み切った理由はここにあります。イスラエルはアラブ諸国との戦争で負けた場合、国が無くなる可能性をかなりリアルに感じてきたので、それを防ぐために核保有をしたと考えられます。

今日では、ある国が他の国を打ち負かすことはできない。そうした考え方は、広島とともに死滅した。
ヘンリー・ハップ・アーノルド将軍

とはいえ、戦争は全面戦争だけではありません。他のケースではどうでしょう。

ドウデモイイ島の争い

例えば、主権をかけた全面戦争ではなく、一定の目的のための限定戦争を考えてみます。国境近くの離島、その領有権の奪い合いがわかりやすいでしょう。仮称”ドウデモイイ島”の領有権をA国とB国が争っているとします。
ドウデモイイ島*7(イメージ)

対立が先鋭化し、ついにB国が軍を動かしました。B陸軍が揚陸し、ドウデモイイ島を占領したのです。

ですがB国にA国を滅亡させるつもりはちっともありません。ドウデモイイ島さえ手に入ればいいのです。よってB陸軍はA国の本土にはちっとも近寄ってきません。B国の目的はA国を完全にコントロールすることではなく、島一つの領有権についてだけ、認めさせれば十分なのです。

この場合、A国は何ができるでしょうか? 話し合いでB国が譲ってくれるなら、武力行使には踏み切っていないはずです。かつB国は既に実効支配を固めているため、タダで退去するとは考えがたいところです。また国際社会の認識では、ドウデモイイ島はA島とB島の係争地域であり、領有権は未確定だとされています。従って味方してくれる国もなく、同盟国軍も動いてくれないとします。さて、どうしましょう。

限定戦争で戦略核の抑止力は機能しない

こう宣言するのでしょうか。


「ただちにわが国固有の領土であるドウデモイイ島から撤退せよ。さもなくばB国に核ミサイルを打ち込む!」

そんな無茶な。

たかだか島ひとつのために核攻撃に踏み切るのは自殺行為であり、A国にとって実質的に不可能な選択でしょう。なぜなら、その後のA国の未来が真っ暗だからです。島ひとつの紛争のために核を使って一国を滅ぼすような国は世界中のあらゆる国から敵視されること間違いなしです。特にA国との関係が深い近隣諸国は、凄まじい恐怖を抱くことになります。自国にとって当然の主張でも、A国からみれば主権侵害だとみなし核を打ち込んでくるかもしれないからです。

よって国際社会は、その中には当然核保有国も含むのですが、あらゆる手段を尽くしてA国から核を放棄させるべく猛烈な制裁を加えるか、政権を転覆させるか、さもなくば先制核攻撃するかで頭を悩ませることになるでしょう。いずれにせよ、A国にとってろくな未来ではありません。

…というようなことは当然A国にも事前に分かることなので、ドウデモイイ島のためだけに核を使うことはまずできないでしょう。

以上の事情は、B国からみても明らかです。よってB国はA国の足元をみることができます。Aが「退去しないと核を打つぞ。本当だぞ。B国の首都を火の海にして(以下略」と脅してもB国はこれを無視することが可能となります。

ここで時点はB国のドウデモイイ島占領の前に戻ります。B国は以上のように未来を予測するため、島をとってもまさか核攻撃されるとは判断しないでしょう。よってドウデモイイ島への侵攻に踏み切ることはありえます。

A国の核抑止力は限定戦争(というか戦いがおこらないのだから、戦争とすら名づけられないだろうけど)に対しては何の抑止力にもならないのです。なお島の領有権以下の争い、たとえば漁業権の対立でA国の漁師がB国に逮捕されたとか、そういう事態ではなおさらです。

そのような場合、A国は大したことない事態で核ミサイルを撃って自滅するのを避けるため、大したことないから仕方ないと妥協することになるでしょう。島一つを妥協するなら、権益一つならどうでしょう。おそらく似たようなことになるでしょう。では外交行動一つ、条約一つ地域一つならば。やはりだいたい同様に、国益を失うことになるでしょう。

フォークランド紛争

核が限定戦争を抑止できない、ということには実例があります。フォークランド紛争です。

アルゼンチン軍がイギリス領フォークランド諸島に上陸し、これを占領しました。イギリスは当時、既に核武装を終えてました。にもかかわらずアルゼンチン軍の侵攻を抑止することはできませんでした*8

島を占領されたイギリスはどうしたでしょうか? もちろん核ミサイルを撃ち込んだりはしません。通常戦力を出して奪還作戦にのりだしました。

軽空母インビンシブル(写真)*9らを中心とする艦隊の護衛のもと、揚陸艦や貨客船につんだ陸兵を送ったのです。イギリス軍はフォークランド島に何とか上陸し、再占領に成功しました。

なお紛争時、アルゼンチン側もイギリス側も、戦いをフォークランド諸島の他に広げるつもりは毛頭ありませんでした。イギリス軍は島から目と鼻の先のアルゼンチン本土には決して手を出そうとしませんでした。アルゼンチン側も、お返しとばかりにイギリス本土に向けて艦隊を送ることはしなかったのです。

核だけしか持たない国は、限定戦争以下の事態にまったくの無力

核戦力を持てば、相手方の核戦力を抑止することはできます。また、通常戦力の不利を核戦力で補う、ということもできますから、通常戦力がふつうより少なくて済む場合もあるでしょう。

ですがそれでも通常戦力ナシでOK、というわけにはいきません。通常戦力がゼロでは小さな紛争や限定戦争には抑止も対処もできないからです。

それでは権益をガリガリと周りから削られてしまってなす術がなくなります。それでも国が滅ぶことだけはないでしょうけれども、国民の生命、財産、権利や国土を奪われて、平気な国がありません。

または、他にも多様な事態に対処できないという問題があります。同盟国に援軍を送ったり、国連平和維持活動に参加したり、機雷を除去したり、海外で災害にあった自国民を救出したり…通常戦力がやるべきことは有事と平時とを問わず、色々とあります。それによって得ていたり、保持していたりする利益が全てお釈迦になってしまいます。

核兵器をもっている国も、核よりある意味でずっと弱い通常兵器を捨てずにいるのは、だいたいこういうわけです。

お勧め文献

兵器と戦略 (朝日選書)
江畑 謙介
朝日新聞
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江畑謙介氏の著作だけあって非常にしっかりしたいい本です。核兵器の仕組みから核戦略の発展までを通して解説しています。

*1:トリニトロトルエン:標準的な化学高性能爆薬

*2:正確には不明だが、この数字は 小都元 著「核兵器辞典」 p119から

*3:といっても1990年の製造ですが。なお核弾頭は新しいほど威力が高い、というわけでは必ずしもないです。

*4:この部分、きっど様のご指摘をうけて追記いたしました。ご指摘ありがとうございました。

*5:ただし戦術核についてはこの記事では考えない方向

*6:厳密にはA国が保有する核弾頭の数と威力がMADに十分であり、かつA国の戦略原潜の性能が優れていて、確実に生き残って報復できそうだという確証が必要です。とはいえここでは、それらの条件はクリアされたものとします

*7:本当はガダルカナル島の写真

*8:ただしこの場合、アルゼンチンは核をもっていなかったという点は付け加えておくべきです。あと両国とも自由主義陣営に属していたことも

*9:ここの記述が、なぜか「軽空母ハリアー」になってました。なんてことだ。ハリアーは軽空母に搭載された戦闘機の名前です。リアルタイムで戦況を見ていた者さまにご指摘をいただき、修正しました。ご指摘ありがとうございました。