リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

マスコミの軍事リテラシー不足の問題

 芸能人から政治家まで、さまざまな人がTwitterでつぶやき始めている昨今ですが、「在日アメリカ海軍司令部」もツイッターをやっています(在日米海軍司令部 (CNFJ) on Twitter)。在日アメリカ海軍の広報などを、わりとざっくばらんにつぶやいているようです。そのつぶやきの中で大きな危機感を抱かせるものがありました。日本のマスメディアの軍事音痴をしめすつぶやきです。

最近1番驚いたこと。

それは先日米海軍横須賀基地に空母を視察に訪れた岡田外相を取材する為に東京からやってきた記者団のうちの何名かに、
空母ジョージ・ワシントンを目前にして「この船はなんですか?」「なんていう船ですか?」と訊ねられたことでした。

Twitter / CNFJ: 最近1番驚いたこと。それは先日米海軍横須賀基地に空母を視察に ...

駆逐艦が寄港したある地方の記者の方に、「この駆逐艦というのは、いわゆる空母ですか?」と質問を受けたこともありました。でも、御存知ない方はそういうものですよね?

Twitter / CNFJ: 駆逐艦が寄港したある地方の記者の方に、「この駆逐艦というのは ...

これについては「週刊オブイェクト」でも取り上げられ、話題を呼んでいます。在日米海軍司令部が驚愕する日本の報道記者の軍事知識レベル : 週刊オブイェクト ちなみに軍艦の種類については過去に以下の記事で解説しましたので、詳しくはそちらをご覧ください。

戦艦と軍艦と護衛艦はなにが違うのか? - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ

 この2つのつぶやきからは、軍事リテラシー以前の問題として、記者としてのプロ意識に欠けている点が見受けられます。外務大臣が空母を視察するのを取材に行きながら、その空母について何の事前知識も仕入れていかない。地元の港に寄港した駆逐艦を取材に行くのに、駆逐艦というのがどういう艦なのかも調べずに行く。事前に予備知識をいれずに取材に行くなどというのは、記者として果たしてどうなのか、と思います。「この駆逐艦というのは、いわゆる空母ですか?」とは、とんでもなくトンチンカンな質問です。id:mahalさんの例えをお借りすれば、サッカーJリーグの試合を取材にいってゴールキーパーを指さし、「あれがベッカムですね」とか言っちゃうくらいのレベルです。現地までの移動中に携帯電話でwikipediaを検索しただけでも、こんな無茶苦茶な質問はでてこないはずです。これらの記者は軍事知識以前の問題として、プロ意識が致命的に欠けています。

 この件に限らず、日本のマスコミには軍事知識が欠けていることがよく見られます。とはいえ、もちろんマスコミの記者だからといって、あらゆる分野で専門知識を持つのは無理な話です。また、あまりにマニア的な知識、たとえばアメリカ海軍のアーレイバーグ級とタイコンデロガ級を一目で区別できる、というような知識は不要でしょう。そんな細かい話は、それこそ軍の広報官にでも聞けば済むことです。

 しかしこれらの記者のようにまったく軍事の知識が無い記者が、在日米軍や国際政治といった軍事にからむ事柄を取材するのは、大きな問題です。なぜならば、誤報の温床になるからです。

軍事知識の欠如がもたらした誤報のごく一部

 昨年、「核の密約」が暴かれたことが話題となりました。アメリカ軍が核兵器を日本国内に持ち込むことを、日本政府は黙認する、という約束がひそかに交わされていた、という話です。これについて解説するには、核兵器についての予備知識が必要になります。そもそも核兵器とは何であり、どんな種類があり、アメリカが日本に核兵器を持ち込むのは何の目的によるものか、という知識です。ところがこれらの知識を致命的に欠いていたために、複数の大手新聞社によって誤報が流されました。

 これについては「週刊オブイェクト」の「核密約問題でマスコミは右も左も馬鹿ばかり : 週刊オブイェクト」および「共同通信が調子に乗り過ぎて自爆、核搭載艦について : 週刊オブイェクト」らで取り上げられています。核兵器の運用について、ごく初歩的な理解を欠いた人が記事を書いているために、絶対にあり得ないことが「起こりうる」と報道されています。このように、確かな事実にもとづいた報道であっても、それを正しく解釈する知識を欠いていれば、誤報を流してしまいます。

 このようなケースは非常に数多くみられます。このブログでとりあげた例では、韓国軍の演習場を自衛隊が視察した際、ためしに演習場を体験してみたところ、そこの韓国軍部隊に完敗した、というニュースがありました。テレビのニュースでも流れたニュースです。これも事実に反しているわけではないのですが、その背景や意味するところを解釈せずに「韓国軍が勝って自衛隊が負けた」という部分だけを報道したため、当の韓国軍にも呆れられるとんだミスリードとなりました。(「「韓国軍が自衛隊に勝った!」というニュースが別にどうでもいいワケ - 【移転済】リアリズムと防衛を学ぶ

 この場合は何の重要性もないニュースをムダに垂れ流したケースだからまだ害が少ないのですが、本当に重要なニュースを得ていながら知識がないためにその重要性を見抜けず、報道しないという逆パターンも起こりうる話です。また、あるていどの軍事知識もない記者が取材にいったのでは、鋭い質問などできるはずもありません。また、政府や軍の広報官が、意図的に都合の悪いことを伏せたり、ごまかしたりして答弁したとき、それを的確に見抜いて批判を加えることができるものか、非常に疑問です。

 このように、ある程度の知識、いわば軍事リテラシーを報道機関が持たないでは、軍事や国際政治に関する日本の報道は著しくレベルの低いものとなります。その害はテレビや新聞の利用者に、ひいては日本の国政に及びます。

江畑謙介氏からの警告

 昨年亡くなられた日本最高の軍事アナリスト江畑謙介氏は、このような現状を憂い、その著書のなかでこう述べてらっしゃいます。

…残念ながら国民一般がもつ軍隊や兵器に関する知識は驚くほど少なく、したがって正確な情報を国民に提供すべきメディアの知識もまた貧弱で、多くの間違いや誤解に基づく情報が流されている。


あるいは国民の軍事に関する知識を故意に利用した情報操作のための、客観性に欠ける情報の流布が行われている。これは民主主義にとって極めて危険な状態である。


江畑謙介著「兵器の常識・非常識(上)」 p3-4

 客観性に欠け、誤った軍事情報の蔓延を、江畑氏は強く危惧しておられたのです。マスメディアが必要な知識もなしに誤った報道を流し、あるいは政府に都合の良いごまかしを見過ごして批判を欠いている、ということです。マスメディアがそのようでは、国民はなかなか妥当な情報を知ることができず、無知なままにおかれます。独裁の国ならばいざしらず、民主主義の国において、これはかなり困ったことです。なぜなら民主主義国において、国民は議会を通して文民統制を果たし、軍事力をコントロールしなければならないからです。

戦中の日本からの警告

 司馬遼太郎氏はエッセイ集「風塵抄」でこう述べてらっしゃいます。

たとえば、戦前の軍国主義の時代では、自国の軍事力を他と公開の場でくらべてみることはできなかった。日米開戦という重大段階の直前でさえ、両者の比較が新聞紙上にあらわれることはなかった。湾岸戦争で、軍事評論家たちがテレビに出ている。民間に軍事評論家をもっていることは、自由な社会であることのあざやかな証拠といえる。テレビをみながら、ふと


(こんな分析家たちが昭和一けたに五、六人もいたら、昭和史は変わっていたろう)


と妄想した。むろん、妄想にすぎず、昭和一けたにそんな自由はなかった。


……大正時代は自由だった。しかし、油断した自由だった。自由でありながら、民間人で軍事研究をする酔狂な人はいなかった。大正時代に冷静な軍事研究が民間でおこなわれていれば、昭和に入っての軍人のファナティシズムの爆発は、不発か、より軽度だったにちがいない。(司馬遼太郎 「風塵抄」 p287-288)

軍国主義の時代に、国家の軍事政策を冷静に分析し、批判できる言論が不足していたことを指摘しているわけです。司馬氏は「こんな(軍事)分析家たちが五、六人もいたら」と慨嘆していますが、大正から戦中にかけての日本にも、そういった言論人が一人もいなかったのではありません。

 例えば水野広徳という人がいました。この人は元軍人だったのですが、軍を退いた後は文筆活動に転じて、冷静な軍事的分析から、日本の軍事政策を徹底的に批判しました。その指摘は後からみると恐ろしく的中しています。太平洋戦争の開戦直前に、すでに「現代は航空戦の時代である。もしアメリカと戦争などすれば、航空戦に負けて、東京をはじめ日本の都市はみんな焼き尽くされてしまう」と言っています。事実、その通りになりました。

 しかしこういった、軍事的知識に裏打ちされた適切な分析、批判は、けっしてメディアの大勢を占めることがなく、政治の動向に影響を与えることはありませんでした。戦争がいよいよ進んでくると、このような議論は封殺されてしまいます。太平洋戦争の勃発直前、水野はこう書いています。

「近時我国に於いては言論の自由著しく拘束せられ、殊に軍事問題に関しては、当局の意に満たざる言論は直に反軍思想として弾圧される」


「今の軍当局は国民に戦争の惨状や悲哀を知らす事を非常にいやがって居る様です。要するに無知の国民を煽って塹壕の埋め草にする積りらしいのです」

 翻って現在はどうでしょうか。水野が遭ったような言論弾圧はもはやありません。政府にとって都合の悪い事実であっても、報道することができます。マスメディアは大手を振って政府の防衛政策を批判したり、かくあるべきと議論を立てたりすることができます。過去の歴史を反省するならば、冷静かつ論理的に、そういった批判をやり、あるいは議論を盛んにして政治を誤りを防ぐのは、言論の重要な役割でしょう。

 しかし前段のように、軍事的知識を欠き、情報の重要性をはかることにも困難を感じ、正しい事実をつかんでもその解釈を誤って誤報にしてしまうようでは、そういったマスコミの機能は十全には期待しがたいところです。