リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

戦争の兆候に気づくのが難しい理由 ヨムキプル戦争1

 戦争が、今まさに起ころうとしていました。何十万人という敵軍が国境に迫っていたのです。にも関わらず、まさか敵軍が本当に攻めてきて、戦争になるとは、誰も思いませんでした。いったい何故でしょうか?

 今回とりあげるのは「十月戦争」です。以前からお読み下さっている方は、戦車シリーズの外伝だと思って下さい。今回から全三回でお送りして、これが終わったら戦車PART3に移ります。

 なぜイスラエルは奇襲を許したのか、がテーマです。新聞やテレビといったメディアが普及し、偵察衛星が宇宙から地上を覗いている時代です。にも関わらず、大戦争が勃発するそのときまで、イスラエルはそれに気がつきませんでした。いったい何故なのでしょうか。

安息日の奇襲

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 十月戦争はイスラエルとエジプト・シリア同盟軍の戦いであり、日本では「第四次中東戦争」の名で知られています。ほぼ同じレベルの近代兵器をもった国が、ガチンコで戦った戦例として、戦史上おおきな教訓を残した重要な戦いです。

 この戦いはまたの名を「ヨム・キプル戦争」といいます。ヨム・キプルとはユダヤ教の祭日です。一切の労働をせず、安息に過ごさねばならないそうです。この日は罪の贖(あがな)い、つまり罪がつぐなわれることを求めて祈りを行う日であるといいます。そのためヨム・キプルのことを日本語で「贖罪(しょくざい)の日」または「大贖罪日」と訳されます。

 またこの日はイスラム教の断食月(ラマダーン)の中にあります。イスラム教においてとても大事な期間です。よってヨム・キプル(大贖罪日)は、イスラエルのユダヤ教徒は静かにお祈りをし、エジプトやシリアのイスラム教徒は断食にこれつとめ、ともに信仰に生きるべき大事な日です。

 そんな安らかであるべき日に、それは起こりました。エジプト軍とシリア軍が、大軍をもってイスラエル領になだれ込んだのです。まったくの奇襲でした。 
 まずはこの戦争の少し前、消耗戦争についてみてみましょう。

消耗戦争と着上陸作戦

 イスラエルが独立を宣言したまさにその当日から、イスラエルとアラブ諸国は何度も戦争をしてきました。そのたびに何とかイスラエルが勝利しました。第三次中東戦争では優れた戦闘機部隊で空を制覇し、地上では戦車部隊が活躍して、わずか六日間で圧勝しました。

 その後、エジプトとイスラエルの間に「消耗戦争」と呼ばれる小競り合いが続きました。スエズ運河を挟んだ小規模な戦闘です。エジプトは運河の西側、イスラエルは東側が領土です。運河をはさんでエジプトがイスラエル領を砲撃すれば、イスラエルはその報復にエジプト領を爆撃する、といった具合です。

 エジプトを諦めさせるため、イスラエルはスエズ湾の島々に対し、上陸作戦を行いました。ヘリや船を使って数百人の兵士を着上陸させ、島のエジプト守備隊を撃破しました。そして一時的に島を占領し、要塞施設を破壊すると撤収しました。

 9月8日から11日には、スエズ湾を越えて、なんと西岸のエジプト領へ上陸作戦をやりました。イスラエル陸軍の一個大隊が、海軍の戦車揚陸挺にのり、ひそかに上陸しました。

IDF(イスラエル国防軍)はスエズ湾を越えて機甲打撃戦を行った。…我々は海軍と協同して上陸演習を何度も行い…六週間ほど毎日準備に没頭したのである。

この襲撃は成功した。攻撃隊はわずか戦車四輌、APC三輌の編成であった。敵の哨戒をくぐって我々は八時間も前進を続け、途中通過所の敵野営地を蹂躙したり、レーダー施設を破壊したり、あるいは前哨を次々と掃討したりした。*1

 上陸作戦というと、映画「プライベートライアン」冒頭で描かれたノルマンディー上陸作戦のように、何十万人規模の大作戦を思い浮かべがちです。ですがあのような上陸は例外中の例外です。

 消耗戦争でのイスラエルは、わずか数十から数百人の規模で、敵が守っていない海岸への奇襲上陸を行いました。このような少数では、敵の領土をずっと占領することはできません。しかし破壊や、撹乱のための襲撃には有効です。動かす兵力が少なく、継続的な補給もいらないので、奇襲が成功しやすくなります。

 これは日本にとっても他人事ではありません。日本も島国です。占領をめざした数万人程度による上陸作戦だけでなく、数十〜数千人以下による襲撃を狙った作戦にも、日本は備えておく必要があります。そこで近年の自衛隊は対ゲリラ・コマンド対処や、離島防衛に力を注いでいます。

 とまれ、このような消耗戦争をへて、エジプトはだんだんと不利になっていきます。そこで仕方なく停戦条約に合意します。70年の7月31日のことです。しかしこの停戦は、次の戦争への準備期間にすぎませんでした。

戦争の足音

 消耗戦争から3年後、イスラエルの国境地帯で、異常な動きが報告されていました。イスラエルは東をシリア、西をエジプトに挟まれています。この両国の軍隊が妙な動きをしていたのです。

通常、そろそろ雨期入りとなるこの時期には、シリア軍は兵を後方に下げるのである。ところが今年にかぎって、多数の部隊を前線に移動させており、今や異常な数の兵力が第一線に展開していた。*2

 このシリア軍の動きは戦争準備だったのですが、イスラエルはそうとは受け取りませんでした。ただの演習や示威行為だと考えたのです。時を同じくしてエジプト軍も同様に、さかんに演習の動きをみせていました。

 軍隊だけではありません。エジプト大統領のサダトは、たとえどれほどの犠牲を払おうともイスラエルに勝つ、と宣言していました。ですがイスラエルはこれを口先だけだと考えました。イスラエル軍のアダン将軍は、当時をこう振り返っています。

サダトがエジプトに百万の犠牲を出す覚悟ありと言った時、私は本気とは思えなかった。国内向けに必要な大言壮語ぐらいにしか考えなかったのである。百万の損害がでれば、いくら何でもエジプトは傷つくであろう。


…アラブの心理を理解できなかったのは国防軍だけではない。政治家もそしてまた、…大学のアラブ研究者すらも、戦争が迫っていることを計算しなかったし、もちろん警告を発することもなかった。*3

 このように、相手も自分と同じように考えるだろう、と思い込んでしまっていたのです。日本の近くにも盛んに「ソウルと東京を火の海にする」「報復の聖戦を行う」等と度々宣言している国があります。いつものことなので新聞やテレビでも余り報道されなくなってきた気がします。あれらは口だけのから脅しなのです。しかし常にそうだ、と私たちが思い込んでいると、彼らが本気で言っているときも「あれは本気じゃない。国内向けに必要な大言壮語だ」と誤解してしまうかもしれません。

戦争は彼らにとって自殺行為にも等しいのだ

 エジプトやシリアが戦争に踏み切ることはない、とイスラエルが考えたのには、それなりの根拠がありました。軍事力の優越です。六日間戦争の圧勝でしめしたように、イスラエルの軍事力はアラブよる優れています。つまり、こう考えられたのです。

…軍事力において格段の優越性を獲得できない限りアラブが戦争を始めることはない、と考えていた。戦争は彼らにとって自殺行為に等しいのだ。…つまり、戦争は近い将来起こらないということである。*4

 具体的には、戦闘機と戦車でイスラエルはきわめて優勢でした。とくに戦闘機、つまりは空軍の優勢は重要です。現代戦においては空を制した側が非常な優位に立つことになります。しかしこの自信が、思い込みにつながったのだ、といいます。

ヨムキプール戦争時、対応が遅れた原因を追究したアグラナット調査委員会…の見解によると……”アラブが…イスラエル空軍と対等に戦える航空戦力を整備しない限り…戦争の勃発はあり得ないとの情報部の臆断が奇襲を許したのだ”とした。*5

 たしかに常識的に考えて、空軍で負けている国が、自分から戦争を仕掛けてくるとはちょっと考えがたいです。イスラエルならばそんなギャンブルはやらないかもしれません。しかしアラブは違ったのです。

なんといっても大きかったのは、我々にアラブの心理構造が読めなかった点であろう。……アラブ諸国は多大の犠牲を払ってでも戦争を継続する決意であり、多大の犠牲があっても国家の崩壊はなくこれに耐える自身がある。ハルツーム宣言はそのように言っていたのである。*6

 所詮、他国の考えは分からないのです。考え方が違えば、明らかに不合理と思われるようなことでも、敢えて行うことがあります。頭のよい合理主義者は、相手も自分と同じように考えるならば、まさかそんな愚挙はしないだろう、という思い込みで失敗します。

エジプトの欺瞞工作

 イスラエルが油断していたのは、彼ら自身の思い込みだけのせいではありません。エジプトが積極的にイスラエルをダマしていたのです。「エジプトは戦争なんかできる状況にない」というウソの情報をたくみに流していきました。

 そこでは新聞などのメディアが活用されました。外国の新聞にむけてインタビューや意図的なリークをエジプト政府は行いました。そこではエジプト軍がいかに準備不足の状態にあるかが強調されました。

 イスラエル側はこういった情報を収集するうちに、やはり思ったとおりだ、エジプト軍は戦争などできる状況ではないのだ、と判断しました。

正しい情報の誤った解釈

 ここに状況判断の難しさがあります。正確な情報資料をつかんでいても、その解釈を誤れば、180度違った結論を導いてしまうのです。

 実際、イスラエルは多くの情報を得ていました。アラブ軍が動いていることはつかんでいました。

アラブ側は意図を隠蔽しようとしたが、IDF(イスラエル国防軍)は充分な情報を得ていたし、エジプト、シリア両軍が戦争準備の最終段階にあることを明確に示す情報も持っていた。しかし我々はその可能性を認めようとしなかったのである。*7

 つまりは先入観に支配されていたのです。軍だけではありません。政府、議会、政党など国全体に「まさかアラブ側が、この状況で戦争を仕掛けてくるわけがない」という思い込みが蔓延していたのです。

 敵軍が集結し、戦争準備体制にあることを偵察衛星か何かでばっちりつかんでいたとしても、「まさか戦争にはなるまい」という思い込みに国が支配されていると、その解釈を完全に間違えることだってあり得るのです。イスラエルですらそうだったのです。

油断の報いは血

 結局、イスラエルが「これは戦争になる」と気づいたのは、10月6日の午前4時のことです。国防大臣と首相に届けられたのは、「今日の夕方には戦争が始まる」という報告でした。戦争勃発のわずか10時間前のことでした。

見解の違いや決断に至るまでのスローテンポぶりから判断されるように、首相はもとより国防相も、最後の土壇場になっても戦争が勃発直前であることに、とんと気づかなかったのである。*8

 これほど直前になるまで、戦争が迫っていると気づかず、油断していたのです。イスラエル軍は一応の準備をしているつもりでしたが、まさか全面的に開戦するとは予想していませんでした。そのため動員も軍の配置も不十分でした。

 一方のエジプト・シリア軍はこの日に備えて万全の準備を整えていました。そしてイスラエルは、油断という罪の報いを、国民の血によって贖うことになるのです。

エジプト軍は夢にも考えなかったような、それこそバラ色の開戦条件を得たのである。*9

 贖罪日(ヨム・キプル)の戦いが始まりました。


 次回は「戦車の限界」と題して、ヨム・キプル戦争の流れをおいながら、ここでしめされた戦訓を拾っていこうと思います。

*1:p77 砂漠の戦車戦 上

*2:砂漠の戦車戦 上 p4

*3:砂漠の戦車戦 上p115

*4:砂漠の戦車戦 p112

*5:前掲書p106

*6:前掲書 p113-114

*7:p105-106

*8:p121

*9:p124