リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

戦争の誕生 〜ヒトはいつから戦ってるのか?

 「人類の歴史は戦争の歴史だ」と言いますが、人類はいつから戦争をしているのでしょう? 

 近代において、戦争とは国と国とがやるものでした。しかし現代では違います。山賊が自動小銃をもち、海賊がミサイルを放っています。テロリストが飛行機でビルに突っ込むかと思えば、環境保護団体が国家にケンカを売る時代です。テロと戦争、国家とそれ以外の差異は曖昧になり、戦争の定義と、世界の形はゆらぎっぱなしです。未来の戦争と平和はどのような形をしているのでしょう。

 そこで、戦争の来歴について調べていくのがこのシリーズです。

 今回はぐっと原始にまでさかのぼって、最初の戦争について調べてみます。この辺の時代は初めて学ぶので、まったく不案内な世界です。

戦争はどれだけ古いか

 ヒトがものを書き、記録を残すようになった頃には、もう、当たり前のように戦争が起こっています。古代エジプトや近東では、使われる武器こそ青銅器であっても、とてもシステマチックな戦闘が行われ、パワーポリティクスに基づいた戦争が行われていたようです。アーサーフェリルはこう書いています。

初期エジプト史における一つのきわめて重要な事実は、ナイル川流域に誕生した文明が戦争を通じて形成され、ファラオの王国が軍事力によって維持されていたことである。……(メネス王のスレート製)化粧版は、明らかにエジプト史の初期に組織的な戦争が重要な意義を持っていたことを物語っている。
p52-53 フェリル「戦争の起源」

フェリルによれば、紀元前3100年頃のエジプト王を描いた化粧版には、エジプト軍が血祭りにあげた敵の首のない死体を王が点検している図があるといいます。「文明」といわれるものが誕生した頃、すでにかなり大規模な戦争が起こっていたようです。その戦争は、かなり組織的に行われていた模様です。

戦車に乗る古代人


 伝承からゲームまで色々と有名なギルガメッシュは、古代シュメールの伝説的な王様。紀元前2600年頃の人ではないか、と言われているそうです。紀元前2000年代のシュメール人は、すでに金属を使い、巧みに戦争をしていました。

 当時の決戦兵器は戦車(チャリオット)です。エンジンでキャタピラを動かす現代の戦車(タンク)と違い、古代の戦車は馬が引きます。馬車のに兵士を乗せた兵器です。現代の戦車が歩兵と協力して戦うように、古代の戦車も組織的に使われています。

メソポタミアの古代美術…に描かれているシュメール人は、戦車に守られながら…突撃用の槍を手にし密集隊形を組んで全身している。…機動力(戦車)および防護力(矛兵)に短距離、中距離、長距離兵器(槍、投げ槍、弓)を組み合わせることによって得られる利点は、古代近東では早くから理解されていた。
p59 フェリル 前掲書

 現代でも戦車、歩兵、砲兵らが協力して戦います。砲兵に支援され、戦車に守られた歩兵が勝負を決します。弓兵に支援され、戦車(チャリオット)に守られた矛兵が突進して古代シュメール人は、武器こそ古いものの、よく戦法を考えていたのでしょう。なお現代の戦車については過去記事で少し書いたことがあります。

なぜ日本に戦車が必要か?part2 日本の地形と戦車 - リアリズムと防衛ブログ
「戦車の限界」 ヨムキプル戦争2 - リアリズムと防衛ブログ

 ともあれ、文明の曙光がさしたとき、すでに戦争はシステマチックに行われていました。よって戦争の始まりは、少なくとも、先史時代にまで遡ります。先史時代とは書かれた文献が残っていない時代です。

首のない古代人

 でも、文献が残っていないのに、どうやって「戦争がこの時点であった」「いや、まだ無かった」と決めればいいのでしょう。佐原真は弥生時代を例にあげて、色々な遺物から戦争の有無を論じています。

 カーやブロックがそうしたように、まず、死体から考えましょう。古代のヒトの死体、その骨をみると、戦いで殺された形跡があります。
 
(出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/)

 佐賀県にある弥生時代の遺跡「吉野ヶ里遺跡」では、首のない人骨が見つかっています。戦いで首を取られた「戦死者」ではないかと見られます。弥生時代の遺跡からは他にも、槍が腰に刺さった死体、弓矢が骨に刺さった死体などがでています。

こういう骨が、それもたくさん出ていると、組織的な戦い、つまり戦争があったらしいと考えられます。でも一体や二体ならただの個人的な殺人かもしれないので、それを社会的にやっていた証だてがいります。
 

弥生人の要塞

 弥生時代に戦争があったらしいことは、集落からもうかがえます。「日本軍事史」には、こうあります。

集落の中には、わざわざ稲作には不便な山の上に作られるもの(高地性集落)や、周りを壕や土塁で囲むもの(環壕集落)が現れた。愛知県清洲市の朝日遺跡はその代表的なもので、壕や土塁の他に、斜めに切った杭や枝付きの木をバリケード状に何重にもめぐらして防備を固めていた様子が発掘されている。

日本の歴史上、環濠集落が現われるのは、他には十六世紀の戦国時代だけであるから、弥生時代も戦国時代に匹敵する戦争の時代であったことがうかがわれる。

p4-5 「日本軍事史」

 柵の後ろに、投擲用の石つぶてをたくさん用意していた例もあります。敵の接近を堀や柵でふせぎ、石を投げつけ、弓を放って防戦できるようにしたのでしょう。生活上の不便を忍んで、このように集落を要塞化したのは、その必要性があったということでしょう。なお高地性集落は次第になくなっていきますが、これは大和に生じた王権が強くなり、周囲の平定が進んでいったからではないかと考えられているそうです。

戦争は田んぼから始まる?

稲作革命SRI―飢餓・貧困・水不足から世界を救う
 このように、日本で言えば弥生時代に戦争が始まるのは、農耕をするようになったからだ、と言われています。佐原真によれば、世界的にみても農耕の始まりと戦争の始まりはだいたい一致することが多いようです。農耕によって水利や土地をめぐる争いが起こったからではないか、と考えられています。また、貧富の差ができたからだ、とか、色々な説明があります。

 とまれ、それら色々なわけで、農耕や遊牧といった、生産の安定が戦争を可能にし、開戦理由ももたらしたのでしょう。狩猟採集民は農耕民よりも野蛮で暴力的であり、農民は平和な人たちだ、というイメージもあります。実際には農耕民の方がよほど好戦的なようです。

戦争を起こす空間

 ですが、狩猟採集民にも戦争の例はあります。

太平洋の北西海岸に住む人びとが、農耕に入ることなく採集の生活に徹しながら多くの人口を支え・・・そして激しく戦いあってたことが今ますます明らかになってきている。三五〇〇〜一八〇〇年前の太平洋期の中ごろに、近接戦闘の証拠があらわれる。石や鯨骨の棍棒でなぐり、頭骨が陥没したり顔や歯が損傷したりである。
p155 「戦争の考古学」

 狩猟採集の生活であっても、石や骨のこん棒で、人は戦争をしたようです。そのことから考えると、戦争の誕生は農耕そのものよりも、「定住」なんだという説があります。

アメリカの文化人類学のファーガソンさんは、農耕社会ではなく、定住の暮らしこそが平和をやぶったのだ、という。…移住する採集民の集団は、ほかの集団との間がらが危うくなると「敵」からすばやく離れることによって「ほとんど戦争」の緊張状態を解消できる。「この平和な選択を定住は取り去ってしまう」と。

p152 「戦争の考古学」

 定住が、戦争をもたらす。定住した生活が、「戦いを避けるためにその空間から逃げ、遠くで暮らす」という選択肢から、ひどく魅力を奪うのでしょう。

逃げられない空間

 ここで、こんな話を思い出しました。さかなクン助教授が書いているイジメの話です。(著者の意図からはけっこうズレた感想だと思うのですが)

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。

朝日新聞デジタル:いじめられている君へ - 教育

 学校も、クラス、という空間に閉じ込められます。イジメが起きそうになったら、すぐ他の学校に行く、というのは難しい話です。「暴力に遭う前に、遠くへ逃げる」という選択肢が困難です。農地や牧草地、豊かな狩場といった空間に縛られ、軽々しくは他へ移住できなくなった時に戦争が芽生える、というのと、どこかで通じている話かもしれません。

戦争の誕生

星を継ぐもの 1 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
 戦争がなかった平和な原始時代とは、どんな時代でしょうか。戦争をする余裕すらない時代、と言い換えてみてはどうでしょう。

 農耕がなく。遊牧もなく。野菜も獣も、育てるのではなく、山野から獲るしかない生活です。

 しかも、定住生活ではありません。ということは、山野が貧しいのです。山野が豊かであれば一箇所でも生活できますが、貧しければ、人の集団がそこに留まることで、動植物が減る一方となります。それでは食べるものが尽きるので、その前に移動せざるをえないのです。

 確かに戦争はないでしょう。それどころではないのです。たとえ他の集団と険悪になっても、さっさと移動してしまえばいいのです。

 人がそういう世界から抜け出したのはヨーロッパでは中石器時代のことだったようです。定住が始まり、空間を争うようになったのでしょう。

寒く乾いた更新世から暖かく湿った完新世に入ると、草原だったヨーロッパに森がひろがった。季節によって遠くへ移動する動物にしたがって、大きく移動しなくてもすむようになった。生物量(バイオマス)はふえ、安定した。中石器人は、ある一定の範囲で暮らすことができた。・・・人がふえ、旧石器時代とは違って集団と集団がかなり接近して住むことになったので、食料資源をめぐって、生活圏の領域をめぐって戦争が起こった。

p154 「戦争の考古学」

 もっとも、これだけでは、縄文時代の日本にどうも戦争がなかったらしいこと等、いくらかの疑問が残るので、もっとよく調べてみたいところです。次回は戦争の技術的側面、「武器」の誕生について調べてみます。

追記

この記事で参考にした研究はちょっと古いので、新しいのでいい本をご存知でしたらコメント欄やTwitterで教えてください。

引用文献

日本軍事史
日本軍事史
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